ティラナ
[Wikipedia|▼Menu]
ファシスト体制のイタリアとアルバニアとの間でティラナで条約が結ばれ、1939年にファシストの軍によりティラナは接収され傀儡政権が樹立した。その間、イタリアの建築家ゲラルド・ボジオ(Gherardo Bosio)は以前の計画をさらに練り上げ、新たに現在のマザー・テレサ広場になっている部分に新しい計画を導入することを頼んでいる。[10]1940年代初期、メインの大通りの南側の部分や周辺の建物が完成しファシストにより名付けられた。ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世のティラナ訪問中に企てられた地元の抵抗活動家による暗殺計画は失敗に終わっている。

1941年11月エンヴェル・ホッジャによりアルバニア労働党が設立された。ティラナは直ぐにアルバニアの共産主義の中心的な町となり地元市民を動員しイタリアのファシストや後のナチのドイツに抵抗し、その間にイデオロギー的なプロパガンダが広まった。1944年11月17日に町はアルバニアの共産主義勢力とナチスとの戦いの後に解放された。ナチスは最終的に共産主義勢力に戦いで敗北した。1944年から1991年にかけティラナでは建築様式としては大分衰えたいくぶん整然とした開発が行われた。大規模な社会主義様式の高層住宅群や工場の建設が始まり、スカンデルベグ広場は整備し直され多くの建物が取り壊された。ティラナのオールドバザールや正教会の大聖堂などは徹底的に破壊されソビエト様式の文化宮殿 (en) が建てられている。イタリア人が建てた行政庁舎は爆破され、その代わりにアルバニア国立歴史博物館が建てられ、アルバニア君主国時代のアルバニア議会が入っていた建物は子供の劇場に変えられた。加えて大通りの北側部分はヨシフ・スターリン通りと名前が付け替えられ、レーニンの像が都市の広場には直立した。自家用車の所有が禁止され公共交通機関は鉄道、自転車やトラック、バスが主要な手段と考えられた。アルバニアは鎖国主義を宣言しそれを優先した後にニキータ・フルシチョフ周恩来など著名な共産主義諸国の人物が訪れている。1985年にティラナではエンヴェル・ホッジャ死去に伴い葬儀が行われた。ホッジャの霊廟としてピラミッドの形をしたエンヴェル・ホッジャ博物館(英語版)も建設された。その数年後、アルバニアが無神論を宣言してから最初の宗教的な人物としてマザー・テレサが訪問している。テレサは地方の墓地で眠る両親のもとを訪れた。この頃になるとティラナ大学の学生による政治的な自由化に対する運動が高まった。
変化

1990年代後半までは共産主義の力は徐々に衰え崩壊し体制が移行する期間は都市部での開発やインフラ投資に関してはしばしば否定的に捉えられる。キオスクやアパートメントなどの建物が公有地や公共空間に不法な状態で様々な形状で建ち始めていた。ティラナの都市部周辺の非公式な地区にはアルバニア中の移住者を集めていた。この間、ティラナは計画経済から市場経済への移行期であった。自家用車の所有制度が再び実施されビジネスも新たに設立された。しかしながら、都市は照明、道路事情が貧弱なことが問題で泥や陥没、粉塵なども同様に問題でティラナの道路の特徴となっていた。しかしながら、全ての建物や住宅は民間所有となり中古のバスが導入され、近代的な水道や電話、電気などのインフラが現代のティラナを背景とし1992-1996年に整備された。エンヴェル・ホッジャの博物館は1991年には取り除かれ、迫害された活動家Pjeter Arbnoriの名誉で名前が替えられている。

政治的な局面ではティラナでは多くの重要なことが起こっている。ジェイムズ・ベイカーヨハネ・パウロ2世など西側の政治家や宗教家が訪れている。ヨハネ・パウロ2世の訪問は最初の宗教的トップの訪問でマザーテレサに続く宗教的指導者の来訪であった。ヨハネ・パウロ2世はスカンデルベグ広場で「自由がやってくる!」("Freedom works!")と言う言葉を残している。1990年代後半、バルカン半島各地では戦争や社会的な混乱を各地で経験したが、ティラナでもそれまで市場経済の経験が乏しいことから発生した経済破綻により1997年アルバニア暴動が発生したり、1998年9月14日にはクーデターが失敗するなど大きな社会的混乱が起こっている。
再生

2000年に入ると前ティラナ市長であったエディ・ラマにより徹底的なキャンペーンが行われ都市中心部周辺や1990年以前からあるラナ川岸の不法な建築物の取り壊しが行われた。さらにラマがイニシアチブをとり、ティラナにある建物の前面を明るい色の塗装にしたが、その間にも内装は劣化を続けた。[11][12]公共交通は民営化され、新しい中古のバスが導入された。自治体の行政サービスは拡大され多くのイベントが導入され、新しい自治体警察が発足している。未だにインフラの整備が不十分であるが、多くの道路では再整備が進められ、公共用地や共用箇所も通常に戻されつつある。スポーツ用地や歴史的な建物の整備も進められているが、古い伝統的な住居のアパートメント化や緑地帯への高層建築物の建設などへの批判もある。ラマは建築認可に関しての問題で汚職で告発されたが証拠不十分で不起訴になっている。最近ではティラナ中心部では通常の道路工事などによる交通渋滞が問題になっている。2007年にアメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュがアルバニアを訪問しティラナ周辺を訪れている。[13]ブッシュへの敬意からティラナでは彼の名を冠した通りがある。2008年には郊外の元軍の弾薬庫で爆発事件 (en) が起こり市民は動揺した。これは偶発的な事故か故意なのかいろいろ可能性が言われている。2011年には反政府デモが発生し政府ビル前の車が放火された。このデモで3人が死亡し150人がケガをした。[14]
将来

多くの計画が達成されて来たが、ティラナの将来性に関してはビジョンが欠けていると言う指摘もある。環状道路の南西部の整備や中央バスターミナル、トラム網の整備など計画されているが、公共空間の不足、違法建築物の合法化プロセス、慢性的な駐車場の不足や道路渋滞、排気ガスによるスモッグなど解決すべき課題が多くある。
気候

夏は平均20℃以上あり暖かく、降水量は少なく乾燥しているが、それ以外の季節では平均10℃前後で、降水量は100mm-150mmである。ケッペンの気候区分では、夏季の月平均降水量が30ミリを下回るか上回るかで、地中海性気候に属するか温暖湿潤気候に属するかが変わるが、ティラナはその境界に位置し用いるデータによって変動する。

ティラナの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)21.3
(70.3)28.0
(82.4)30.3
(86.5)32.6
(90.7)35.9
(96.6)39.7
(103.5)42.2
(108)41.4
(106.5)39.7
(103.5)36.1
(97)31.3
(88.3)22.5
(72.5)42.2
(108)
平均最高気温 °C (°F)11.6
(52.9)12.9
(55.2)15.6
(60.1)19.0
(66.2)23.8
(74.8)27.7
(81.9)30.7
(87.3)30.7
(87.3)27.3
(81.1)21.8
(71.2)17.1
(62.8)13.0
(55.4)21.0
(69.8)
日平均気温 °C (°F)6.7
(44.1)7.8
(46)10.0
(50)13.4
(56.1)18.0
(64.4)21.6
(70.9)24.0
(75.2)23.8


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef