ティムール
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ティムールはモグーリスタン軍に追われるアミール・フサインと合流し、わずか60人で1,000人からなるヒヴァの領主の包囲を突破、この時にティムールは自らの槍で領主を討ち取った[44]1362年にティムールとフサインはモグーリスタン軍に敗れて捕虜とされ、62日間をメルブで過ごした[45]1363年[45]、ティムールはスィースターンの領主との戦闘で負傷し、右手と右足に矢傷を負う。1364年に石橋の戦いでモグーリスタン軍に勝利、同年のキシュ近郊の戦いでイリヤース・ホージャに大勝し、モグーリスタン軍をマー・ワラー・アンナフルから放逐した[41]。勝利したティムールとフサインはクリルタイを招集してチャガタイ家のカーブル・シャーを新たな西チャガタイ・ハン国のハンに擁立し、ティムールとフサイン2人の共同統治体制が成立した[41][46]

1365年春、トゥグルク・ティムールの死後にモグーリスタンのハンに即位したイリヤース・ホージャは雪辱を期してマー・ワラー・アンナフルに親征する。ティムールとフサインはチナズタシュケントの間でモグーリスタン軍を迎え撃った(泥沼の戦い)。ティムールとフサインは兵数でモグーリスタン軍に勝っていたにもかかわらず敗北し[47]、2人はバルフ方面に逃亡した。敗戦の責任を巡ってティムールとフサインの関係は悪化するが[48]、それでもまだ同盟関係は維持されていた[7]

他方、ティムール達に勝利したイリヤース・ホージャは守備兵がいないサマルカンドに向かって進軍を続けた。当時のサマルカンドは城壁と内城が再建されていなかったが[注 4]、サマルカンド市民の中にはモンゴルからの解放を掲げる「サルバダール運動(英語版)」(英語: Sarbedaran movement)を行う一団が存在していた[48]。サマルカンドに入城したイリヤース・ホージャの軍はサルバダールが指揮する市民の奇襲を受けて壊滅し、さらに軍馬が疫病に罹って激減したためにマー・ワラー・アンナフルから退却した[41][49]。イリヤース・ホージャは敗走中にドグラト部カマルッディーンによって殺害され、カマルッディーンはモグーリスタンのハンを僭称した。

1366年春にイリヤース・ホージャが退却したことを知ったティムールとフサインはサマルカンドに戻り、一度はサルバダールたちの勝利を称え、彼らに面会を申し出る。歓待の後にティムール達は態度を一変させ、ティムールの取り成しによって助命された一人を除いてサルバダールを皆殺しにする[50]
フサインとの決別1370年のバルフ包囲

1366年の春の終わりに、サマルカンドにフサインを指導者、ティムールを補佐役とする政権が成立した[50][51]。しかし、ティムールとフサインの関係はより悪化する。フサインがティムールの支持者たちに重税を課した時、ティムールは妻の装飾品を売ってまでも彼らの債務の支払に協力したためにティムールの信頼は高まり、逆にフサインは支持を失った[50][52]。また、ジャライル部やアパルディー部はティムールの裏切りを伝える偽の報告をフサインの元に送り、両者の決裂は決定的になる[53]。この時期にティムールが寵愛した妻ウルジェイ・タルカン・アーガーが亡くなり[54][55]、フサインの妹であるウルジェイの死によって二人の対立はより深まった[53][54]

1366年の秋にティムールはフサインからカシュカダリヤのカルシを奪還し、さらにブハラを攻撃した[56]。フサインはマー・ワラー・アンナフル奪還を目指してブハラとサマルカンドを制圧、ティムールは一時ホラーサーンに退くが、モグーリスタンとの戦いに備えて二人は講和した[57]。この時にはジャライル部やスルドゥズ部といった有力部族がフサイン側に付いており、ティムールは不利な状況下に置かれていた[58]。講和後にティムールはフサインの政権下で起きた反乱の鎮圧に協力するが、ティムールを警戒するフサインは自身の本拠地であるバルフの改築を決定する[59]。工事に要する多額の費用を捻出するために住民に重税が課されたため、ティムールは工事の中止をフサインに進言するが聞き入れられなかった[54]。また、遊牧生活を営む諸部族もフサインの工事に反対し、ティムールの支持に回った[58]

1369年にティムールはアムダリヤ川を渡河してバルフへと進軍し、行軍中に多数のアミールや諸勢力がティムール軍に合流する[60]。バルフへの進軍中、テルメズ付近でティムールはスーフィズム(神秘主義)の聖者サイイド・バラカ(英語版)に出会う。ティムールはバラカに寄進を行い、彼から権力者の象徴である太鼓と旗を授けられた[58][61]。バルフ攻撃前、ティムールはモンゴル帝国の第2代大ハーン・オゴデイの末裔であるソユルガトミシュをハンに擁立した。


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