ティムール
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しかし、トクタミシュにとってはティムールの温情は屈辱でしかなく、ティムールを攻撃するための準備に取り掛かった[99]

1387年、ティムールはロレスターンを拠点とする強盗団の討伐隊を自ら指揮し、捕らえた賊徒を断崖から突き落とした[100]。さらにティムール軍はヴァン湖畔の要塞を制圧してアルメニアを征服、キリスト教徒である要塞の守備兵を断崖から突き落として処刑した[100]。また、ヴァン湖近辺で遊牧生活を営むトゥルクマーン系の国家黒羊朝に対しては、ミーラーン・シャーが率いる軍隊が派遣された。黒羊朝の君主カラ・ムハンマド(アゼルバイジャン語版)はミーラーン・シャーに対してゲリラ戦を展開したが、抵抗は長く続かなかった[100]

1387年にティムールはイルハン朝の旧領に成立したムザッファル朝の領土に進攻、エスファハーンを占領し、ムザッファル朝の首都シーラーズを略奪した。占領地のエスファハーンの住民がティムール軍の兵士と徴税人を殺害したために、見せしめとして殺戮が行われた[101]。決められた数の首を持ってくるように命令された兵士によって70,000人の首が集められ、それを積み重ねた塔が建てられた[101][102]。ティムールはムザッファル朝君主シャー・シュジャーの甥シャー・ヤフヤーを傀儡の君主に据えて、属領とした[103]

1380年代中頃にペルシア東部がティムール朝の支配下に入る[89]
トクタミシュとの戦い詳細は「トクタミシュ・ティムール戦争(英語版)」を参照ティムールとトクタミシュの戦闘

1388年春にトクタミシュが本拠地のマー・ワラー・アンナフルに侵入したため、ティムールはやむなく西アジア方面での軍事活動を中断して中央アジアに帰還する[104]。王子ウマル・シャイフが指揮する守備隊はトクタミシュの猛攻を凌ぎきれずアンディジャンまで後退し、サマルカンドとブハラは包囲を受けた。30,000の騎兵がサマルカンドの救援に向かい、ティムール自身も小部隊を率いてキシュに駆けつけると、トクタミシュは草原地帯に退却した[105]

1387年(もしくは1388年)にトクタミシュはスーフィー朝の君主スレイマンに反乱を唆しており、扇動に応じたスレイマンは挙兵した[106][107]。モグーリスタンのカマルッディーンはトクタミシュと同盟して援助を受け[108]、さらにティムールの姻族にあたる貴族ハージー・ベクがホラーサーン地方で反乱を起こし、ティムールは最大の危機を迎える[109]

1389年、ティムールはカマルッディーンを討伐するための本格的な軍事行動を起こした[110]イリ川を渡ったティムールはモグーリスタンの中心部に至り、カマルッディーンとイリヤース・ホージャの兄弟ヒズル・ホージャを撃破してウイグルスタントルファン近辺にまで達した[110]1390年の7回目のモグーリスタン遠征でティムール軍はモグーリスタンからカマルッディーンを放逐し、新たにハンに即位したヒズル・ホージャと和平を結んだ[111]

ホラズム地方に軍を返したティムールはウルゲンチを占領し、スレイマンはトクタミシュの元に逃亡した。ウルゲンチの住民はサマルカンドに連行され、町は一部を除いて徹底的に破壊され、更地に大麦の種が蒔かれた[106]1391年のキプチャク草原遠征の直前にティムールはウルゲンチを復興させる命令を発した[106]。1391年1月にティムール軍はタシュケントを出発し、2月にティムールはクリルタイを開いて遠征に参加した将軍たちから計画の同意を得、彼らに軍令を発した[105]

2月5日、ティムールはウマル・シャイフが率いていた別動隊と共に、ホジェンドでトクタミシュ軍の前衛を撃破する。行軍の途上でジェズカズガン近辺にトクタミシュ討伐に向かう旨の碑文を建て、飢えと疲労に苦しみながらもトクタミシュに迫った[112]。同年6月18日にコンドゥルチャ川でティムールはトクタミシュを破る(コンドゥルチャ川の戦い)。この戦闘はトクタミシュに痛手を与えたが、まだ彼は再起するだけの力を残していた[92][113]
五年戦役

1392年、トクタミシュを破って間も無くティムールは西アジア遠征を再開する。この戦役は「五年戦役」と呼ばれる[7]。遠征の前、ティムールはイラン全土の支配権はチンギス・ハーンからチャガタイの子孫に与えられたという名分を掲げ、イラン支配の正当性を主張した[114]

戦役の最初、ティムールはマーザンダラーンに残っていた未征服の都市を占領した。ムザッファル朝への攻撃が再開され、シーラーズに向かうティムールをシャーヒ・シュジャーの甥シャー・マンスールが迎撃した。1393年5月にティムール軍とシャー・マンスールはシーラーズ近郊で交戦、戦闘の混乱の中で親衛隊からはぐれたティムールはシャー・マンスールに肉迫され、頭を2度切りつけられる危機に陥る[115]


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