ティムール・メリク_(ジョチ家)
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脚注^ 赤坂2016,246-247頁
^ ノムガンの子テムル・クトルクの子として、『高貴系譜』にはテムル・ハン ????? ??? T?m?r Kh?n、『勝利の書なる選ばれたる諸史』(Taw?r?kh-i Guz?da-yi Nus.rat N?ma)ではテムル・ベク ????? ??? T?m?r B?k と記されている(赤坂『ジュチ裔諸政権史の研究』p.469)。赤坂『ジュチ裔諸政権史の研究』収録の系譜p.47(ジュチ裔系図 トカ=テムル裔 ノムカン裔), p.76(同 トカ=テムル裔 オロス裔) 赤坂恒明はこのテムル・メリクをオロスの息子のひとりとする資料は誤っており、『高貴系譜』などに書かれているキンテムル家アバイ裔とする情報の方が正しいとしている。
^ 川口「キプチャク草原とロシア」『岩波講座 世界歴史11―中央ユーラシアの統合』、291頁。シャラフッディーン・アリー・ヤズディーの『勝利の書』(?afar N?ma)序章において「キプチャク草原を統治したハンたち」が初代のジョチから「第三十二、ムハンマド・ハン」(カザン・ハン国の初代ウルグ・ムハンマド)まで列挙されているが、そのうち、「第二十、オロス・ハン」「第二十一、トクタキヤ。オロス・ハンの子息」に続いて「第二十二、テムル・メリク。オロス・ハンの子息」と書かれている。(赤坂『ジュチ裔諸政権史の研究』 p.294)
^ a b c S.G.クシャルトゥルヌイ、T.I.スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』、72頁
参考文献
川口琢司「キプチャク草原とロシア」(『岩波講座 世界歴史11 中央ユーラシアの統合』収録, 岩波書店, 1997年11月)
川口琢司/長峰博之『チンギズ・ナーマ』( 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 2008年)
川口琢司/長峰博之「15世紀ジョチ朝とモスクワの相互認識」(『北西ユーラシアの歴史空間』北海道大学出版会,2016年)
S.G.クシャルトゥルヌイ、T.I.スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』(加藤九祚訳, 東海大学出版会, 2003年)
赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房, 2005年2月)
赤坂恒明「ペルシア語・チャガタイ語諸史料に見えるモンゴル王統系譜とロシア」(『北西ユーラシアの歴史空間』北海道大学出版会,2016年)
先代
トクタキヤジョチ・ウルスのハン
1377年 - 1378年次代
トクタミシュ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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