1850年、ボストンの宝石商ギデオン・リードがパートナーとして加わり、リードが主体となってパリに支店を出した[30][34]。
1851年にニューヨークの銀細工師、ジョン・C・ムーアの事業を買収し銀製品製造を開始した。ジョン・C・ムーアの引退後は息子のエドワード・C・ムーアが工房を引き継いだ[35]。
1853年、チャールズ・ルイス・ティファニーは会社の全権を握り、社名を今の、Tiffany & Co.に改称した[36]。そして、1854年、ブロードウェイ550番地に建てられた新たな本店の入り口にはギリシア神話の巨人、アトラースに支えられた大時計が設置された[36][37]。この時計は後の本社移転にともない移設されて、ニューヨーク57丁目と五番街の角にある現在のティファニー本店に設置されている[9]。同じく1853年には、ティファニーブルーと呼ばれるカンパニーカラーを製品の箱に初めて使用した[38]。
1861年に起きた南北戦争では北軍に協力し、開戦直後から軍需に応じた[39]。パリ支店を利用して欧州から軍服、武器、テント、救急用品を調達し、なかでも軍剣は大量に調達した[40]。開戦以降、宝飾品の売り上げは落ち込んだが、こうした軍需によって会社を維持することができた[41]。1863年7月にニューヨークで暴動が起きたときに店が狙われたが、軍隊が出動したため略奪を免れた[42][43]。このとき軍がティファニーの店を守ったのは、店が軍に協力しており、店内に武器などが保管されていたからだと考えられている[44]。戦後は武器商からは手を引き、在庫はニューヨークの商社に売却した[45]。
1867年に開催されたパリ万博では、銀のピッチャー、コーヒーセット、ティーセットを出品してアメリカの企業として初めての賞を受賞した[46][47]。
1868年、連邦政府に会社として正式に登録を申請した[48][49]。同年、ロンドン店を開業した[50]。さらに時計製造にも着手し、スイスのジュネーヴに工場を設立した[51]。
1877年に南アフリカのキンバリーで発見された287.42カラットのイエロー・ダイヤモンドの原石を翌1878年に1万8000ドルで購入、ジョージ・フレデリック・クンツ(英語版)にカットさせた。このダイヤは128.54カラットの有名な「ティファニー・ダイヤモンド」として本店に展示されている[9]。
1885年、アメリカ国章のデザインを作った。これは1ドル札のデザインの中に採用された[9][52]。
1886年ダイヤモンドが最も美しく輝くセッティング(石留め)としてティファニーセッティングをデザインした。これは現在のエンゲージメントリングなどで主流とされている代表的なものである[9]。以前のセッティングは金または銀の台座に埋め込まれていたため一方向からの光の反射しか見ることができなかったが、このティファニーセッティングにより、あらゆる角度から光が入るようになった[6]。これはティファニーの公明正大さを表すものともいわれている[23]。また、このセッティングを実現させるために、当時はまだ素材として目新しかったプラチナを使用している[6]。 1902年、創業者のチャールズ・ルイス・ティファニーが死去した。息子のルイス・カムフォート・ティファニーは副社長及び初代デザイン・ディレクターに就任した[53]。
20世紀