ティッパー・ゴア
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2014年4月にパトリック・マイアニと再婚したことが報じられた(リーといつ離婚したかは不明)[13]

アルバート “アル” ゴア3世(1982年10月19日生まれ[7]) - 経営学修士(MBA)の候補者[15]。過去には父親がアメリカ合衆国副大統領を退任した後にマリファナ所持が原因の逮捕のニュースが二度報じられた[13]。2014年5月にブルターニュ・トスカーノと結婚した[15]

ティッパーは2000年8月17日にロサンゼルスに位置するステイプルズ・センターにて、民主党の大統領候補指名を受け入れた夫と長く、濃厚なキスを交わした[16]

2003年に「イレイジング・ザ・スティグマ・アワーズ」において、息子のアル・ゴア3世が幼少期に自動車にはねられて瀕死の重傷を負った際にうつ病に苦しみ、それを克服した彼女自身の経験について講演した[17]

2010年6月1日に熟慮と協議を経た末の結論として、ゴア夫妻は40年におよぶ結婚生活に終止符を打ち、離婚すると公表した[18][19]2012年8月25日付の『ニューヨーク・タイムズ』は二人が年に数回、家族旅行やクリスマスなどの機会に会っていると報じた[16]
政治への関与

1984年に当時11歳だった長女のカレナが聴いていたプリンスアルバムパープル・レイン』の収録曲「ダーリン・ニッキー(英語版)」に耳を傾けて露骨な歌詞が含まれていると感じて憤慨し、翌1985年アメリカ合衆国財務長官ジェームズ・ベイカーの妻スーザン・ベイカーらと共同でPMRCを設立した[20]。「ナショナル・パブリック・ラジオ」(NPR)の記事によると、この出来事がティッパーに子供たちへの警告目的で暴力的にあるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽のレコードステッカーを貼るように義務づける法案を連邦議会に提出するための働き掛けを開始する決意を促すことになった[21]政治家ビジネスマンの夫人たちで構成されるPMRCは夫たちの力を利用して上院において、「ポピュラー音楽の憂慮すべきコンテンツに関する」公聴会を開催させたが、会に出席して証言したミュージシャンフランク・ザッパジョン・デンバー、「トゥイステッド・シスター」に所属するディー・スナイダーのいずれもが検閲に強く反対する意思を表明した[20]。PMRCを率いたティッパーは多くの音楽業界関係者から批判されることになり、ザッパは「文化に対するテロリストだ」と彼女を評した[1]ウォレントは1990年に発売したアルバム『いけないチェリーパイ(英語版)』の収録曲「オード・トゥー・ティッパー・ゴア」で卑猥な語句を挿入して彼女を馬鹿にした[22]

また、青少年を取り巻く社会環境に警告を発する本を出版してこれがベストセラーになり、1988年アメリカ合衆国大統領選挙で候補の一人として名乗りを上げたゴアはこの時に「本人より先に、妻の名前が知られている初めての候補者」と呼ばれたり、「あのティッパーの亭主」と紹介されることもしばしばあった[23]。しかし、ティッパーは「彼(ゴア)は私の口を封じようとしたことは一度もありませんし、私も夫への影響を恐れて活動を中止するつもりは全くありません」と言い切っている[23]

アメリカ合衆国のセカンドレディとしてのティッパーはより良いメンタルヘルスを提唱し、精神疾患に対する偏見を根絶するキャンペーンを展開したことで称賛を獲得した[6]。1999年にはホワイトハウスで史上初めて開催されたメンタルヘルスについての会議で議長を務めた[6]。彼女は自身のうつ病体験を公にしている[6]
著書

著者または共著者として、数冊の本を出している。

Raising PG Kids in an X-Rated Society (1987年) (
ISBN 978-0687352838)

Picture This: A Visual Diary (1996年) (ISBN 978-0553067200)

『副大統領夫人の写真日記』 浜野保樹訳、朝日新聞社 1998年。ISBN 978-4022572684


From the Bottom of Our Hearts (2002年) (ISBN 978-1931718455)

Joined at the Heart: The Transformation of the American Family (2002年) (ISBN 978-0805068931) - 夫のアル・ゴアとの共著

The Spirit of Family (2002年) (ISBN 978-0805068931) - 夫のアル・ゴアとの共著

脚注^ a b c d e f “Tipper Gore Bio” (英語). CNN.com. 2015年1月1日閲覧。
^ a b c William Addams Reitwiesner. “ ⇒The Ancestors of Tipper Gore” (英語). Wargs.com. 2015年1月1日閲覧。
^ Maraniss(2001年) p.259
^ David Maraniss, Ellen Y. Nakashima (1999年10月10日). “ ⇒Al Gore: Growing Up in Two Worlds” (英語). Washingtonpost.com. p. 2. 2015年1月1日閲覧。
^ Annie Groer (2010年6月1日). “ ⇒Al and Tipper Gore Split After 40 Years of Marriage” (英語). Politicsdaily.com. 2015年1月1日閲覧。
^ a b c d e “ ⇒Tipper Gore In and Out of Public Eye” (英語). ABCNews.go.com (2006年1月6日). 2015年1月1日閲覧。


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