ツングース系民族
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^ 中国の史書が伝える東北アジアの民族「D?nghu」が古チュルク語の「トングース(To?us)」の発音が似ていることから、ヨーロッパの学者を中心に支持された説である。
^ *『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)P536「【?貊は果たして何民族と見做すべきか】?貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」

下中直人『新訂増補 朝鮮を知る事典』(1986年、平凡社)「【?貊】彼らの言語は白鳥庫吉によれば、ツングース系を主として若干のモンゴル系を混合したものと推測されている。《村山正雄》」

『Yahoo!百科事典』「【?貊】前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ),高句麗(こうくり),沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである《浜田耕策》。」

^ *井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1?正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」

『世界史小辞典』(2004年、山川出版社)「【夫余】トゥングース系の貊人が建てた」

『Yahoo!百科事典』「【夫余】古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名《村山正雄》。」

^ *井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1?正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」

京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p272「【高句麗】トゥングース系の扶余族の支族。《朝鮮総督府『朝鮮史』(1932?38)、池内宏・梅原末治『通溝 上下巻』(1938?40)、田村実造編『アジア史講座3』(1956)》」

加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社)p156「高句麗は北扶余から発したとされるが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」

室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(2010年、新潮新書)p193「(中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない」

^ 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p161「U(夫余、高句麗、?、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。」
^ 史書に夫余の別種と記す『旧唐書東夷伝』「百済国、本亦扶余之別種、当為馬韓故地」
^ 『魏書』旧北扶余也。地宜五谷,不生五果。其人長大,性強勇,謹厚,不寇抄。其君長皆以六畜名官,邑落有豪帥。飲食亦用俎豆。有麻布,衣制類高麗而幅大,其国大人,以金銀飾之。用刑厳急,殺人者死,没其家人為奴婢。俗淫,尤悪妬婦,妬者殺之,屍其国南山上至腐。女家欲得,輸牛馬乃与之。或言本?貊之地也。
^ *『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)p321「【粛慎考】漢史の伝える所によれば、古の粛慎は後漢・三国に?婁といい、後魏に勿吉といい、隋唐に靺鞨といい、宋元明に女真といい、共に満州人の祖先なりという。若しもこの説の如くんば、粛慎は今日のツングース種に属すべきのなれども、この民族に関する記事の後世に伝わるもの甚だ僅少なるが故に、その果たして然りや否やについては更に考究を要せざるべからず。」

京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,?婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」

高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)あらすじp1「同概念は踏襲発展の民族伝統を指すものであり、前秦時代の粛慎、漢晋時代の?婁、南北朝時代の勿吉、隋唐時代の靺鞨、遼、宋、金、元時代の女真、明末及び以後の満洲族、エヴェンキ族、ホジェン族などの各歴史時期の部落、部落集団及び民族を含められるものである。」

^ *京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,?婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」

西川正雄『角川世界史辞典』(2001年、角川書店)「【?婁】トゥングース系の夫余に従属していた《大金富雄》。」

高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)p50「従文化特点来看、一方面、反映粛慎,?婁,勿吉,靺鞨状況的鶯歌嶺、蜿蜒河、同仁1期等一脈相承的文化。(中略)主要是釜、甑、罐、而没有豆形器物」

『Yahoo!百科事典』「【?婁】高句麗(こうくり)や夫余などと違った言語を用い、毒矢を使い、また穴居して厠(かわや)を住居の中央に置きそれを洗浄用に使用するなど、独特の習俗をもっていた。《護雅夫》。」

^ *内田吟風、田村実造、他訳注『騎馬民族史1?正史北狄伝』(1971年、平凡社)p343「勿吉や靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。」

井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2?正史東夷伝』(1976年、平凡社)p99「(靺鞨について)中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。」

京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,?婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」

高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)p48「反映勿吉‐靺鞨人状況的同仁1期文化(早段年代距今1420±80年、樹輪校正1380±80年、相当于599‐684年。晩段年代距今990±80年、樹輪校正960±80年、相当于994‐1186年)的分布版図、?婁時期較大為発展。」

^ *鉄利部・越喜部(黒水靺鞨に属す)。井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2?正史東夷伝』(1976年、平凡社)p440「鉄利は中国黒竜江省南部からソ連沿海州南部にかけて居住する純ツングース種族である。p441同越喜」

内田吟風、田村実造、他訳注『騎馬民族史1?正史北狄伝』(1971年、平凡社)p343「勿吉や靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。」

井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2?正史東夷伝』(1976年、平凡社)p99「(靺鞨について)中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。
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