チンドン屋
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^ 堀悌吉山本五十六にあてた手紙の中で太平洋戦争開始時の大本営海軍部報道課長であった平出英夫を「チンドン屋」と呼んだ。(阿川弘之「新編 山本五十六」)
^ 増田太次郎は呼称が生まれたのは大正末、現在のチンドン屋の風俗が形成されたのは昭和初期と推察する[13]。用例として細川『繁盛記』は1929年の塩入亀輔『ジャズ』を挙げ、『日本国語大辞典』(第二版、小学館 2001)は、1930年の細田民樹『真理の春』などを挙げている。
^ 「空地に盛り場に明朗な美を描く、アドビル、アドバルーンなどいずれ劣らぬ豪華な競争陣――近代都市広告」(大阪毎日新聞 1935.6.20)(未見。堀江『始末記』に拠る)には「映画館くづれのジンタをまじへたチンドン屋の踊り」という表現がある。堀内敬三 1977も参照
^ 既に述べた通り、語彙としての「チンドン屋」の用法は明治初期からあるが、この実態は明らかではない。日置『ものしり事典』の「ちんどんや」の項では、1885年に高坂金兵衛が「ひろめやという商売をはじめ一日に百人くらいのルンペンを集めて行列をつくり、先頭と後部に旗を立て、囃をなかに入れ、ドンチャンドンチャンと、主として化粧品などの宣伝をしたのがはじまりである」としている。石子順三は『ガラクタ百科』の「チンドン屋」の項で、東西屋や広目屋を前身として大正元年に「北沢国松という曲芸師が考案したといわれているが、はっきりしない」と書いている。
^ この組合は、創設目的が選挙目当てであったことがあまりにも露骨であったため、ほどなく潰れた[70]
^ 増田太次郎は「口上広告」という表現を用いる[97]

出典^ 吉見・北田(編)2007.p.115.
^ 日本国語大辞典(小学館)
^日本文化いろは辞典
^ 大場 2009, pp. 49, 56.
^ a b 増田 2011, p. 84.
^ 大場 2009, pp. 47, 49, 58.
^ 朝倉 1986, p. 105.
^ 吉見・北田(編)2007, pp. 125-127.
^ 吉見・北田(編)2007.p.122.
^ William P.Malm(1959), Japanese Music and Musical Instruments p.62
^ 日置昌一『ものしり事典 風俗篇(下)』など
^ 細川周平「チンドン屋繁盛記」『東京チンドンVol.1』(パフ・アップ PUF7 [CD])ブックレットp.10
^ 増田 2011, p. 83.
^ 加太こうじ 1980, p. 133.
^ 堀江 1986, pp. 26-27.
^ a b c d 堀江 1986, p. 12.
^ 堀江 1986, pp. 111-113.
^ 堀江 1986, p. 10.
^ a b 堀江 1986, p. 15.
^ 堀江 1986, pp. 10-11.
^ 堀江 1986, p. 11.
^ 増田 2011, p. 71.
^ 朝倉喬司 1986, pp. 142?155(花月亭九里丸「漫談 大阪が生んだ東西屋」「明治三軒長屋」『上方』1931を参考にした記述)、「大阪の東西屋(東西屋の開祖栗丸の談話)」『広告大福帳』(1905.1, pp. 25-31., 1905.2, pp. 11-17.)
^ 堀江 1986, pp. 13-14.
^ この段落は朝倉喬司 1991, p. 52-。紅勘は、高村光雲「幕末維新懐古談」などにも登場する
^ 大伏肇『資料が語る近代日本広告史』東京堂出版、1990よりスキャナーで採取
^ 以下、大阪の東西屋については朝倉喬司 1986, pp. 142?155(『上方』を参考にした記述)、「大阪の東西屋(東西屋の開祖栗丸の談話)」『広告大福帳』(1905.1, pp. 25-31., 1905.2, pp. 11-17.)、奥村梅皐『大阪人物管見』小谷書店 1903.6 pp.34-35などを参照した
^ 以下、広目屋関係については広目屋「市中音楽隊の沿革」『音楽界』(1910/M43(9).pp49-50.)、池田辰五郎述・堀内敬三記「民間吹奏楽の創建秘史」『音楽之友』1942/2巻6号, pp. 34-39.、「秋田柳吉君閲歴談」『広告大福帳』(1905.1, pp. 17-25)などを参照した
^ a b 「特集 明治期の広告-近代広告の幕開け」『アド・スタディーズ』2004年8月25日号、p.7
^ a b 堀江 1986, p. 68.
^ 堀江 1986, pp. 68-69.
^ 堀江 1986, p. 20.
^ 朝倉 1986, pp. 133-134.
^ 増田 2011, p. 74.
^ 「特集 明治期の広告-近代広告の幕開け」『アド・スタディーズ』2004年8月25日号、p.7, 19
^ 堀江 1986, p. 22.
^ 朝倉 1986, p. 140.
^ 増田 2011, p. 75.
^ 堀江 1986, p. 135.
^ a b 堀江 1986, p. 25.
^ 増田 2011, p. 77-78.
^ 堀江 1986, pp. 36-61.
^ a b 増田 2011, p. 77.
^ 堀江 1986, p. 70.
^ 堀江 1986, pp. 72-73.
^ 堀江 1986, pp. 74-78.
^ 堀江 1986, p. 79.
^ 増田 2011, pp. 77-78.。高坂金次郎をチンドン屋のはじまりとする資料もある。
^ 堀江 1986, p. 68, 79
^ いも助については堀江 1986, pp. 83-96.
^ 堀江 1986, pp. 85-86.
^ 堀江 1986, pp. 98, 100-103
^ 朝倉喬司 1986, p. 109.
^ 『音楽界』大正6年7月号(未見)。細川「繁盛記」p.20に拠る)
^ 朝倉喬司 1986, pp. 128, 161?162.
^ 片岡『カメラ社会相』(未見)。
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