チンギス・カン
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およそ半世紀のちのネズミ年(皇慶元年壬子、1318年)3月13日の紀年のある同じ碑石に刻された仁宗アユルバルワダによる聖旨碑でも、チンギスは「チンギス・カンの」 ?i? -gis qa-nu/?i?gis qa-nu 、オゴデイは「オゴデイ・カアンの」 "o-k?o-da? q・a-nu/Okodei Qa'an-u 、クビライは尊号である「セチェン・カアンの」 sa-?an q・a-nu/Se?en Qa'an-u で呼ばれており、続く成宗テムルも同じく尊号の「オルジェイトゥ・カアンの」 "o?l-?a?-t?u q・a-nu/O?l?eitu Qa'an-u、武宗カイシャンも尊号の「クルグ・カアンの」k?u-lug q・a-nu/Qa'an-u とあって、チンギスのみ「カン」 (Qan) の称号のまま使われており、オゴデイ以下他と区別がされている[39]グユクのインノケンティウス4世宛国書。15行目に「チンギス・カンと(オゴデイ・)カアン ( ????? ??? ? ???? Jink?z Kh?n wa Q?'?n) 」と書かれている。(日本語訳[40])(ペルシア語バチカン図書館蔵)

イルハン朝でも上述の通り、チンギスは『世界征服者の歴史』などの ????? ??? Jink?z Kh?n (または ????? ??? Chig?z Kh?n)あるいは『集史』のような ??????? ??? Ch?nkk?z Kh?n と書かれている。オゴデイは「オゴデイ・カアン」 ?????? ???? ?kt?? Q?'?n、クビライは「クビライ・カアン」 ??????? ???? Q?b?l?? Q?'?n となっている。しかしながら例えばチンギス・カアン ????? ???? Jink?z Q?'?n のような表記をされた資料はイルハン朝以降も見られない。このような ????? ??? Jink?z Kh?n と(オゴデイ・)カアン ???? Q?'?n のような表記の書き分けは、第3代皇帝グユクがローマ教皇インノケンティウス4世に宛てた国書にもはっきり確認される。13 - 14世紀のモンゴル帝国ではアラビア文字表記でも「カン」と「カアン」は厳然と区別されていたと見られるのである。総じてこの ????? ??? Jink?z Kh?n という表記はティムール朝時代以降も一般的に使われている。

イルハン朝周辺でもウイグル文字モンゴル語で書かれた資料がいくつか残されており、例えば『集史』編纂後程なく成立したと見られる系図資料『五族譜』 (Shu`ab-i Panjg?na) は各々主要なモンゴル君主の部分には人物名のアラビア文字表記とウイグル文字表記とを併記しているのが特徴となっている。そこではチンギスの場合、アラビア文字で ??????? ??? J?nkk?z Kh?n と表記され、ウイグル文字では cynγkyz q'n/?i?γis qan と表記されている。クビライの場合はアラビア文字で ?????????? ??? Q?b?l?? Qa'?n と表記され、ウイグル文字では qwbyl'y q'q'n/qubilai qa'an と表記されている(アラビア文字表記は『集史』イスタンブール本とほぼ同一となっている。「カアン」のアラビア文字表記について『世界征服者の歴史』やグユクのインノケンティウス4世宛国書では ???? Q?'?n もしくは ???? Q?'?n と4文字で表記されるが、『集史』イスタンブール本や『五族譜』では ??? Qa'?n と3文字で表記されており、2番目の文字にアリフの長母音記号であるマッダ記号が附されているのが特徴的である)。
漢語文献での「チンギス・カン」の呼称

後裔である元朝によってつけられた中国風の廟号は太祖、は法天啓運聖武皇帝といい、元の初代皇帝として扱われる。

漢語文献では、チンギス在世中の記録として、ムカリ国王の宮廷を訪れた南宋の使者孟?撰(王国維の研究により著者は趙?と校正された)の報告書『蒙韃備録』(1221年頃成立)やサマルカンド駐留中のチンギス・カンに謁見した長春真人・丘処機の旅行記『長春真人西遊記』(1228年頃成立)が知られているが、いずれも「成吉思皇帝」と書かれている。南宋側の記録である『蒙韃備録』や『黒韃事略』(1237年成立)でもチンギスは「成吉思皇帝」や「韃主」と呼ばれているが、「チンギス」という音写に基づく呼称は一貫して「成吉思」や「成吉思皇帝」であり、ウイグル文字、パスパ文字、アラビア文字などのような「カン」と「カアン」の書き分けは生じていない。『元朝秘史』のような「成吉思可罕」という表記は漢語文献では稀であり、ほとんど確認されない(ちなみに、1346年に成立したチベット語文献の『フゥラン・テプテル』でも「太祖チンギス帝」 (Tha?i dsu? Ji? gi rgyal po) とあって「カン」や「カアン」の部分は音写されていない)。

1266年にクビライによってチンギス・カン以来のモンゴル皇帝や皇后、イェスゲイ・バアトルトルイなどの主要モンゴル王族の廟号と諡号が設けられ、チンギスには廟号を太祖、諡号を聖武皇帝と贈られた。また、1309年12月3日に武宗カイシャンによってさらに法天啓運聖武皇帝と追諡された[41]。これらを受けて大元ウルスの末期に編纂された随筆『南村輟耕録』の歴代モンゴル皇帝を列記した巻第1 列聖授受正統 には「太祖應天啓運聖武皇帝 諱鐵木眞國語曰成吉思。」と記されている。
中期モンゴル語と近現代モンゴル語の音韻

以上のように、西方のアラビア文字圏ではイルハン朝以降もほぼ一貫して「チンギス・カン」系の表記のままであったのに対して、モンゴル高原では「チンギス・カアン」系に呼称が遷移した。近代モンゴル語 Чингис Хаан [?i?g?s χa??][ヘルプ/ファイル]の音韻に近い「チンギス・ハーン」という表記が、近年一般に流布して用いられたが、これは表記上の問題以外に音韻上の変化についても問題となる。パスパ文字モンゴル語やアラビア文字表記から、ウイグル文字などに見られる Qaγan は第2音節の -aγa- は -a'a- と軟音化して「カアン」と発音されていたことが確実で、これが近現代音ではさらに χa?? のようにほぼ長母音化してしまっている。中期モンゴル語の q 音もパスパ文字モンゴル語表記やアラビア文字転写によって、「カ」に近い音であったが、現在では χ 音に移行している。χ 音は日本語の仮名転写では「ハ」行が用いられるため、中期モンゴル語としては「チンギス・カアン」と呼ぶべきものが「チンギス・ハーン」に変化しているのである。また、近現代モンゴル語でも「カン(ハン)」と「カアン(ハーン)」の区別は存在するが、チンギスは「ハーン(皇帝)」であるため、「チンギス・ハン (Чингис хан) 」とは呼んではならず、「チンギス・ハーン (Чингис хаан) 」と呼ぶべきだと現在のモンゴル人は考えている、との報告もされている[42]

一方で、ペルシア語文献でのアラビア文字(ペルシア文字)転写で多い、????? ??? Chig?z Kh?n を仮名転写すると「チンギーズ・ハーン」となり、近現代モンゴル語の「カアン」 (Qa'an) の発音転写とアラビア文字表記での「カン」 (Qan) の仮名転写が、「ハーン」という同一の転写になってしまう。「カン」と「カアン」という中期モンゴル語のレベルでは意味的に異なる単語が、依拠する資料で同一の仮名転写になるという弊害が生じることとなった。
「チンギス・カン」「チンギス・ハン」「チンギス・ハーン」

このため、「チンギス・ハーン」「チンギス・ハン」「チンギス・カン」と言った具合に、日本語文献での仮名転写が研究者や執筆者の間でバラバラの状態になり、混乱をきたすようになった。一般に日本の戦前や現代の中国などの漢字表記では、「成吉思汗」と書かれる。ただし、「汗」の読みは中国でも年代や地域により異なり、「ハン」「ホン」、?東語?南語では「カン」(ガン)となるが、古代の上古中国語では「ガーン」であった[43]


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