チリ
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その後、1879年にアタカマの硝石資源を巡ってペルー、ボリビア両国に宣戦布告し、この太平洋戦争によって両国から領土を得た。その影響でボリビアは現在でも国交がない。

19世紀を通してチリは経済的にはイギリスと、文化的にはフランスと関係が深かった。この時期にチリ海軍はイギリスの、法や教育はフランスの[19][20][21]、陸軍はプロイセンの影響を強く受けた。

1973年のクーデターにより、チリは軍事政権による人権侵害などのために国際的孤立に陥ったが、民政移管した1990年以来、チリは国際的孤立から復活した。2010年、チリはOECDの31番目の公式加盟国になった。

軍政期の1983年に長年緊張関係が続いており、何度も戦争直前にまで陥った隣国アルゼンチンがラウル・アルフォンシン政権の下でチリとの歴史的な和解を進めてピクトン島、レノックス島、ヌエバ島のチリ領有を認めると、パタゴニアをめぐってのチリの領土問題は解決した。また、太平洋戦争以来続いたペルーとの緊張も収まりつつある。しかし、太平洋戦争で併合したアントファガスタを返還するように求めるボリビアとの緊張はいまだに続いている。

なお、チリはイギリス、アルゼンチンと同様に南極大陸の一部に対して領有権(チリ領南極)を主張している。

2009年3月27、28日の両日、中部の都市ビニャデルマルで欧米(スペイン、イギリス、ノルウェーの首相、アメリカの副大統領[22]と南米(ブラジル、チリ、アルゼンチン、ウルグアイの大統領)の8か国による首脳会議が開かれた。首脳らは同会議を「進歩派首脳会議」と呼んでいる[23]。会議は、4月20日にロンドンで開かれる第2回20か国・地域首脳会合(G20金融サミット)に向けた意見調整を目的に行われた。各首脳は新たな世界秩序の形成に向けた展望を論議した。同会議は最終宣言を発表した。
日本との関係詳細は「日本とチリの関係」を参照

1897年に日本チリ修好通商条約が締結され、同年9月25日に外交関係を樹立。太平洋戦争末期の1945年4月11日にチリが対日宣戦布告し断交するものの、サンフランシスコ講和条約締結後の1952年10月17日に外交関係を再開した[24]

日本とチリは日本・チリ経済連携協定(2007年9月3日発効)を締結している。また、ともに環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP, TPP11協定)の署名国である[25]。ただし、チリは国内手続が遅れ、2022年12月23日に国内手続きの完了を通報したため、CPTPPはチリについては2023年2月21日に発効する[26]。「在チリ日本国大使館」および「駐日チリ大使館」も参照
国家安全保障詳細は「チリ軍」を参照チリ陸軍の装備するレオパルド戦車チリ海軍フリゲート艦アルミランテ・ブランコ・エンカラダ (FF-15)

チリの大統領は軍隊の指揮権を有し、軍は国防相と大統領の統制を受けている。また、チリでは徴兵制が実施され、国民は2年間の兵役の義務を有している。陸海空三軍のほかに国家警察(カラビネーロス)が存在し[27][28]、規模は4万人ほどである。また、チリはブラジルに続いて南アメリカで2番目に大きな軍事予算を組んでいる。

伝統的にチリの軍隊は、「軍は憲法の番人である」として、他のラテンアメリカ諸国より政治に介入する頻度は比較的大きくなかったが、アジェンデがスト解決のために軍人を利用し始めたことから崩れ始め、1973年のピノチェト将軍らによるチリ・クーデターにより崩された[29]。その後、軍政期に軍はコンドル作戦などを遂行し、自国民や近隣諸国の反体制派市民の拷問、殺害に携わったが、1990年の民政移管後は、それなりの規模と発言力を保ちながら国民との和解が進められた[30]
陸軍

チリ陸軍は兵員4万5,000人を有し、サンティアゴに司令部がある。6つの軍管区に分けられ、ランカグアに飛行旅団が、コリナに特殊部隊の司令部がある。チリ陸軍はラテンアメリカでも最も整備され、専門的かつ技術革新の進んだ軍隊の一つである。
海軍

チリ海軍海兵隊2,300人を含む兵員2万3,000人を有している。29隻の艦艇を有するが、水上戦闘艦艇は内8隻のフリゲートのみである。水上艦隊の母港はバルパライソにある。海軍は輸送と警戒にあたる航空機を保有しているが、戦闘機や爆撃機は有していない。4隻の潜水艦を運用し、潜水艦の基地はタルカワノにある。
空軍

チリ空軍は兵員1万2,500人を有し、それぞれイキケ、アントファガスタ、サンティアゴ、プエルト・モントプンタ・アレーナスに5つの飛行旅団を置いている。空軍は南極キング・ジョージ島の基地でも活動している。2006年にF-16が14機、2007年にも14機導入された。なお空軍は、軍政期は警察とともに反軍政派だった。
カラビネーロス

1973年9月の軍事クーデターに参加後、チリ国家警察(カラビネーロス・デ・チレ)は国防省と一体化した。民政移管後に、警察の実質的な指揮権は内務省の下に置かれたが、国防省の名目的指揮下に置かれたままとなった。40,964人[31]の男女が法の執行、交通整理、麻薬鎮圧、国境の管理、対テロ作戦などの任務にチリ国内で従事する。
地方行政区分詳細は「チリの地方行政区分」を参照

チリは、州監督官(Intendente)を長とする16の州(Region)に分けられる。州はさらにいくつかの県(Provincia)に分割され、それぞれに県知事(Gobernador provincial)が置かれる。県はさらに市町村(Comunas)に分けられ、市(町、村)長がいる[32]。監督官と知事は大統領により任命され、市(町、村)長は一般投票により選ばれる。

1974年に各州には北から南へ順にローマ数字が割り当てられた。しかし首都州は例外的に頭文字のRMとされたこと、またその後に新設された州には位置に関係なく割り振られたことから、当初の意義を失い2018年2月に廃止された[33]チリの16州

旧番号日本語表記スペイン語表記州都
XV アリカ・イ・パリナコータ州Region de Arica y Parinacotaアリカ
I タラパカ州Region de Tarapacaイキケ
II アントファガスタ州Region de Antofagastaアントファガスタ
III アタカマ州Region de Atacamaコピアポ
IV コキンボ州Region de Coquimboラ・セレナ
V バルパライソ州Region de Valparaisoバルパライソ
RM 首都州Region Metropolitana de Santiagoサンティアゴ・デ・チレ
VI リベルタドール・ベルナルド・オイギンス州Region del Libertador General Bernardo O'Higginsランカグア
VII マウレ州Region del Mauleタルカ
XVI ニュブレ州Region de Nubleチヤン
VIII ビオビオ州Region del Biobioコンセプシオン
IX ラ・アラウカニア州Region de la Araucaniaテムコ
XIV ロス・リオス州Region de Los Riosバルディビア
X ロス・ラゴス州Region de Los Lagosプエルト・モント
XI アイセン・デル・ヘネラル・カルロス・イバニェス・デル・カンポ州Region Aisen del General Carlos Ibanez del Campoコイアイケ
XII マガジャネス・イ・デ・ラ・アンタルティカ・チレーナ州Region de Magallanes y de la Antartica Chilenaプンタ・アレーナス


主要都市詳細は「チリの都市の一覧」を参照

主要な都市はサンティアゴ(首都)、バルパライソがある。
地理チリの地図地形図パリナコータ火山チリ富士と呼ばれる南部のオソルノ山トーレス・デル・パイネ国立公園ビーグル水道氷河南部の氷河詳細は「チリの地理(スペイン語版、英語版)」を参照

西部の太平洋との海岸線、東部のアンデス山脈、北部のアタカマ砂漠によって囲まれた国土は南北に細長く、北から南までの総延長は約4,300キロメートルに及ぶ。海岸線に沿ったペルー・チリ海溝では過去にしばしば超巨大地震チリ地震)が発生して、太平洋対岸にあたる日本三陸海岸などの環太平洋全域に津波で大きな被害が起きてきた歴史がある(→チリ地震 (1960年))。また、ペルー・チリ海溝に沿う形でプジェウエ=コルドン・カウジェ火山群などの活発な活火山を多数擁している。

北部の砂漠地帯(Norte Grande)では年間を通してほとんど雨が降らない。など鉱物資源に富む。ラ・セレナの南から地中海性気候の渓谷地域(Norte Chico)となり、チリの主要輸出品目の一つであるブドウなどの果物の栽培や、最近輸出量が増えてきたワインの生産に適している。19世紀後半から発展した歴史を有するこの国の主要地域であり、人口と農産物が集中する。Zona Central。バルディビアからプエルト・モントまでの南部地域(Zona Sur)は森林地帯の続く牧畜に適した湖水地方であり、火山地域である。年間を通して雨が多い。南緯40度以南(Zona Austral)にはパタゴニアと呼ばれ、沿海部は典型的なフィヨルド地形が形成されている。マゼラン海峡を越えて南にはフエゴ島が存在し、島の西半分がチリ領となっている。南極大陸の125万平方キロメートルの領有権を主張するが(チリ領南極)、南極条約で棚上げとなっている。チリはポリネシアにも領土を有し、サラ・イ・ゴメス島ロビンソン・クルーソー島とチリ本土から西に3,700キロメートルほど離れてラパ・ヌイイースター島)が存在する。最高地点はアンデス山脈のオホス・デル・サラード山海抜6,893メートル。チリの対蹠地は北・中部が中華人民共和国、南部はモンゴル国、最南部はロシアシベリアである。
気候詳細は「チリの気候(英語版)」を参照

気候は幅広く、太平洋上に浮かぶラパ・ヌイ島(パスクア島、イースター島)の熱帯気候[34]から、国土の北3分の1を占め、世界で最も乾燥した砂漠とされるアタカマ砂漠、中央部の肥沃な渓谷地域、そして元々は森林に覆われていた湿度は高いが寒い南部、ツンドラ気候が広がる最南部のパタゴニア地方に大きく分けられる。


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