チューリッヒ
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1446年に和平合意が成された時にはどちらも意味のある勝利には達しておらず、チューリッヒは1450年に同盟に再加盟している[29]1576年頃のチューリッヒの街を表した地図 Murerplan

フルドリッヒ・ツヴィングリ(1484-1531)は1520年代にグロスミュンスター(英語版) で主要な聖職者を務めていた時にスイスの宗教改革を始めた。チューリッヒ聖書はツヴィングリの編纂を基本とし、1531年に発行された。宗教改革の結果、国の状況やチューリッヒの市民生活は大きく変わり、その影響は他の多くのカントンにも広がって行った。いくつかのカントンではカトリックが残り、それが元になり深刻な争い(第一次カッペル戦争)からついには第二次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版)が勃発している。16世紀から17世紀の間、チューリッヒの議会は孤立主義的な態度を取り、その結果、1624年に第二の壮大な城郭が築かれている。ヨーロッパ各地で激しさを増した三十年戦争は都市に城壁を築く動機付けとなった。要塞には多くの資源を必要とし、それはいかなる合意にも達すること無く支配領域から集められた。後に続いた反乱は容赦なく潰されている。

1648年、チューリッヒは都市自体を共和国として宣言し、以前の帝国自由都市の地位を捨て去った[30]

1798年のヘルヴェティア革命では旧体制の陥落が見られ、チューリッヒは土地とその経済的特権の支配を失い、街とカントンは所有権は1803-1805年の間、分離されていた。1839年には9月6日の地方の保守主義者の反乱であるチューリッヒのクーデター(英語版)(Zuriputsch)の後、要求に屈しなければならなかった。17世紀に築かれた城壁のほとんどは、都市の覇権に対する地方の懸念をかつての城壁による包囲なしで消すためにほとんどは取り除かれた。チューリッヒ条約がオーストリア、フランス、サルデーニャの間で1859年に署名された[31]
近代1900年のバーンホフ広場

チューリッヒは1839-1840年の連邦の首都で、1839年の保守政党の勝利はスイスのあちこちで大きな物議を引き起こした。しかし、1845年に急進派がチューリッヒで再び力を得るとチューリッヒは再び1845-1846年に連邦の首都となり、チューリッヒは分離同盟のカントンには反対でリードを奪った。分離同盟戦争に続いてスイス連邦が形成され、チューリッヒは1848年と1874年にスイス連邦の憲法に賛成票を投じている。非常に多くのチューリッヒへの移民の流入は1830年以降、街に労働者階級の生活の場を作ったがこれらの人々は市民権を持っておらず自治体には関わっていなかった。これまで高い税だけを支払っていた移民にも1860年に学校が開かれ、次に1875年に居住10年の住民に市民権が与えられている。広範囲な開発は19世紀に行われた。1847年からはスイスの領域では初の鉄道であるSpanisch-Brotli-Bahnがチューリッヒ中央駅に乗り入れ、これはスイスの鉄道網の発祥であった。現存する中央駅の駅舎は1871年に遡る。バーンホフ通り(英語版)は1867年に敷かれて、チューリッヒ証券取引所は1877年に設立されている。工業化は街に移住をもたらし、この間人口は特にチューリッヒ郊外で急増し1893年には11の街の外側の地区がチューリッヒに編入された[32]。第二次世界大戦ではチューリッヒは枢軸国からの空襲の被害を受けている。
紋章チューリッヒの市庁舎に掲げられた紋章

青と白のチューリッヒの紋章は1389年から認められ、青と白のストライプが入った旗は1315年から使われている。現在と同じ旗と同じデザインの物の確かな証拠は1434年からで、紋章には2頭のライオンが両側に立っている。旗の上に掲げられた赤のSchwenkelにはいろいろな解釈がある。チューリッヒの人々にはルドルフ1世が与えた名誉の印で、チューリッヒ近隣の人々は1292年にヴィンタートゥールで失った旗の記念で恥の印として嘲笑している。今日、チューリッヒ州とチューリッヒ市は同じ紋章を使っている。
行政

市評議会(Stadtrat) はチューリッヒ市の行政府を構成しており、都市参事会として運営されている。9人の議員で構成され、それぞれが各部門を統轄している。行政部門の長は市長の役割を担っており、現在の市長はコリーネ・マウフ(英語版)である。部門別の任務や調整、市議会により議決された法律の執行は市評議会により行われる。市評議会の選挙は登録された有権者により4年ごとに行われている。行政府の会議はリマト川河岸の市庁舎で行われる。市庁舎は1883年にルネサンス様式で建てられた。一方、市議会(Gemeinderat)は立法府として機能しており、125名の議員で構成され4年ごとの選挙で選出されており市議会は市評議会と当局により執行される規則と法律を命じる。市議会の審議は公開されていて、市評議会のメンバーとは異なり市議会のメンバーは政治家ではないが彼らは出席に応じて報酬が支払われている。投票可能なチューリッヒのどの市民でも市議会のメンバーとして選ばれることは可能である。市議会の審議は市庁舎と反対側のタウンホールで行われている[33]

2010年現在、チューリッヒ市評議会はスイス社会民主党が4人(1人は市長)、スイス自由民主党が2人、スイス緑の党が2人、スイスキリスト教民主党が1人で構成されている[34]
行政区画チューリッヒの衛星写真チューリッヒの行政区

1893年以前のチューリッヒ市の範囲は多かれ少なかれ、旧市街の場所と同じ意味であった。1893年と1934年の2回行われた市域拡張により、チューリッヒ市は周辺の多くの自治体と合併し、19世紀以来それらとともにますます大きく成長した。今日のチューリッヒは12の地区(Kreis )に分けられておりそえぞれに1から12の番号が振られている。5から12の地区は中心部の1から4の周辺部の地区に割り当てられている。ほとんどの地区の範囲はチューリッヒ市に併合される以前に存在した自治体の範囲とほぼ同じである。
交通チューリッヒ湖の外輪船

公共交通機関はチューリッヒでは非常にポピュラーで、市民の多くが利用している。チューリッヒにやって来る人の70%はバスかトラムを利用し、市内交通の50%は公共交通が担っている[35]。チューリッヒ市内やチューリッヒ州ではチューリッヒ交通連合(英語版)(ZVV)のネットワークは世界でも高い交通密度を示しており、運行頻度も高くなっている。チューリッヒの公共交通機関にはSバーン(近郊電車)、チューリッヒ市交通局の運営するチューリッヒ市電(英語版)(トラム)、路線バス(ディーゼルやトロリーバス)がある。これらに加えて湖や河川で運航される船やケーブルカー、アドルスヴィル(英語版)とフェルツェンエッグ(英語版)を結ぶロープウェイ(LAF)が含まれる。切符はZVVのエリア内であればSバーン、トラム、バス、船の交通機関に対して有効である。チューリッヒ湖汽船会社(英語版)(一般的にZSG)は客船をリマト川やチューリッヒ湖で運航しており、チューリッヒ周辺の町とラッパースウィル(英語版)を結んでいる。

チューリッヒは鉄道や道路、航空など様々な交通の要衝である。チューリッヒ中央駅はスイスでは一番大きく忙しい駅でヨーロッパでも重要な中枢となる駅である。チューリッヒ市内にはチューリッヒ・エリコン駅チューリッヒ・シュタデルホーフェン駅、チューリッヒ・ハルトブリュッケ駅(英語版)、チューリッヒ・ティーフェンブルネン駅、チューリッヒ・エンゲ駅(英語版)、チューリッヒ・ゼレナウ駅(英語版)、チューリッヒ・ヴィディコン駅(英語版)、チューリッヒ・アルトシュテッテン駅(英語版)などがある。鉄道路線は主にスイス連邦鉄道(SBB/CFF/ FFS)により運行されインターシティユーロシティなどの列車で近隣国と結ばれている。

チューリッヒ国際空港は市街から北西部に10km離れたクローテンにあり、スイス インターナショナル エアラインズのハブ空港となっている。中東や欧米を始め、アジア、アフリカなど世界各都市とそれぞれの航空会社により結ばれている。チューリッヒ空港の旅客ターミナルの地下には鉄道駅があり、チューリッヒ中心部を始めスイスの主要都市とは鉄道により結ばれている。A1 (en) やA3 (en) 、A4 (en) などのアウトバーンがチューリッヒ付近を通っており、A1は西部の首都ベルンやジュネーヴ、東部のザンクト・ガレン、A4は北側のシャフハウゼン、A3は北西側のバーゼルや南部のチューリッヒ湖、ヴァレン湖ザルガンスとを結んでいる。
統計アウグスティナー通り

チューリッヒには2011年現在、約39万人の人々が居住しており[2]、スイス最大の都市となっている。住民登録されている人口の31%に当たる121,017人はスイスの市民権を有していない。これらの人たちはドイツ人が31,124人(8%)、続いてイタリア人が13,144人(3.4%)で大きなグループを構成している[3]。市域を含んだ郊外も含めた人口は119万人である[3]ヴィンタートゥールバーデン、ブルック(英語版)、シャフハウゼンフラウエンフェルトウスター、ヴェッツィコーン(英語版)、ラッパースヴィール=ヨーナ(英語版)、ツークなどの自治体を含めた大都市圏地域の人口は約183万人である[3]


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