広告などでは、チューリッヒは「スイスのダウンタウン」などと呼ばれることもある[20]。 チューリッヒは、アルプス山脈の北側 30キロメートル (19 mi)にあるチューリッヒ湖の北端に位置し、海抜は408 m (1,339 ft)である。森林に覆われた東西の丘陵地に周囲を囲まれている。旧市街はリマト川の両岸に開けている。リマト川はチューリッヒ湖から流れ出し、はじめは北側に向かって流れ、徐々に西に向きを変える。チューリッヒの地理的、歴史的な中心はリンデンホーフの丘 チューリッヒ市の市域面積は91.88 km2 (35.48 sq mi)で、そのうちチューリッヒ湖の占める範囲は 4.1 km2 (1.6 sq mi) である。市域はスイス高原
地理
地勢
リマト川流域の西側は森林の多いアルビス(英語版)の高台が続き、西側の境界に沿って続いている。ユトリベルクは海抜869 m (2,851 ft)で周辺部では一番高い地点で、ユトリベルク鉄道(英語版)で容易に頂上まで登ることが出来る。頂上のプラットホームの展望塔からは市街地や湖、アルプスなど印象的なパノラマを眺めることが出来る。リマト川流域の北東部には一連の丘が含まれ、リマト川とグラット川の分水嶺になっている。北東から南西にかけての大部分は樹木の茂った丘陵地が増え、グブリスト(615 m (2,018 ft))、ヘンガーベルク(541 m (1,775 ft))、ケーフェルベルク(英語版)(571 m (1,873 ft))、チューリッヒベルク (676 m (2,218 ft)) 、アトリスベルク(英語版)(701 m (2,300 ft))が含まれる。ケーフェスベルクとチューリッヒベルクの間にはミルヒブック(Milchbuck,約470m)の鞍部にはリマト谷からグラット谷への主要な道が配されている。市域北端はグラット谷の平野とグラット谷とフルト谷を結ぶ鞍部に及ぶ。また、カッツェン湖とビュジ湖(Busisee)共にカッツェンバッハによりグラットに流出し市内に属している。 チューリッヒの気候は定義に応じて海洋性気候もしくは湿潤大陸性気候に分けられる。ケッペンの気候区分ではCfb/Dfbで四季がはっきりとしている。チューリッヒの気候の決め手は風向で、西風は降水をもたらし東または北東の風であるBiseは通常、高気圧の状態と結び付くが平均気温より低い冷涼な天気になる。フェーン現象はアルプス北側の谷では重要な役割を担い、チューリッヒには限られた影響を及ぼす。年平均気温は8.5℃で観測はスイス気象局
気候
チューリッヒ (クローテン, 1961?1990)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)2.0
(35.6)4.5
(40.1)8.8
(47.8)13.2
(55.8)17.9
(64.2)21.2
(70.2)23.6
(74.5)22.7
(72.9)19.5
(67.1)13.7
(56.7)7.0
(44.6)3.1
(37.6)13.1
(55.6)
平均最低気温 °C (°F)?4.1
(24.6)?3.2
(26.2)?0.7
(30.7)2.5
(36.5)6.4
(43.5)9.7
(49.5)11.6
(52.9)11.2
(52.2)8.5
(47.3)4.9
(40.8)0.2
(32.4)?2.8
(27)3.7
(38.7)
降水量 mm (inch)67
(2.64)68
(2.68)68
(2.68)78
(3.07)96
(3.78)115
(4.53)106
(4.17)121
(4.76)83
(3.27)70
(2.76)84
(3.31)74
(2.91)1,031
(40.59)
平均降水日数10.99.510.911.612.412.211.211.58.48.010.110.4127.1
% 湿度86.081.575.572.872.472.972.275.278.984.985.486.178.7
平均月間日照時間35691151441761912231951559249311,475
出典:MeteoSchweiz[21]
歴史
初期の歴史ローマ期のチューリッヒ
チューリッヒ湖周辺では新石器時代や青銅器時代の集落が発見されている。ローマ以前である、ラ・テーヌの集落もリンデンホーフの丘(英語版)の近くで発見されている。ローマ・ガリア(英語版)の時代、トゥリクム Turicum はガリア・ベルギカ(90年からはゲルマニア・スペリオル)とラエティアの国境としてリマト川を行き来する交易の税関であった。後に318年に皇帝コンスタンティヌス1世の改革により、ガリアとイタリア(ローマ帝国の行政区画の4つのうちの2つ)の間の国境はトゥリクムの東に位置しヴァレン湖とチューリッヒ湖の間のリント川(英語版)を横切っており、城や駐屯部隊はトゥリクムの安全を見守っていた。初期に書かれた記録では街の歴史は2世紀からでリンデンホーフで発見された墓石が示している。
5世紀にゲルマン人の部族連合アラマンニ人がスイス高原(英語版)に定住するようになった。ローマの城塞はカロリング朝に入ると、カール大帝の孫であるルートヴィヒ2世により王宮に改造された。