チュートリアル_(お笑いコンビ)
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しかし高校3年生から浪人時代、大学1年の頃までは喫茶店で5 - 6時間喋り続けた後、また喋りたくなってどちらからともなく電話をかけ、さらに3時間喋った後、またしても会いたくなってドライブへ出かけたほどに仲がよかった。仲が良すぎたあまり、周囲からは同性愛を疑われたことがあり、ほぼ毎日会っていたためそれぞれが当時付き合っていた彼女から「私と福田(徳井)くん、どっちが大事なのよ」と怒られた。徳井は「お前(彼女)の方が大事だ」と答えたものの、福田は「徳井の方が大事」と言い切った[4]。小学2年時に「うさぎちゃんの耳」という歌を共同で作詞作曲している[5]

1997年、福田が徳井を京都・河原町通居酒屋で誘い、1998年3月、正式に現在のコンビを結成、5月にデビューした[1]。徳井が福田に誘われ、福田とお笑いをやろうと決めた理由は「何度かコンビを組んでいて笑いの価値観が同じであることが大切だと分かった時、今まで振り返ってみて一番笑いの価値観が合っていた」[6]とのこと。お笑いは観るものだと思っていた福田が徳井を誘った理由は、徳井がNSCの中で「ようウケてる」という噂を聞いて勿体ないと思ったこと[7]と、一番仲が良く笑いのツボも一緒だった親友の徳井が他の友人とお笑いをやることに違和感を覚えたため。ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞、上方漫才大賞新人賞などを獲得し、2006年には『M-1グランプリ』で優勝。2007年、東京へ拠点を移した。

先述の通りネタ作りは徳井が担当しており、コンビ結成当時からの基本テーマは「わけわからんけど、わけわかる」。どこか違和感のある設定や些細なことへの異常な執着を出発点として強引に脱線してゆく徳井のボケを、振り回されつつもあくまで常識的な立場をとってツッコんでいく福田との掛け合いが基本スタイルで、一部から「妄想漫才」と呼ばれている[8]

コンビ名の由来は、2人が高校・浪人時代に通っていた河合塾での「チュートリアル(週1回行われる、連絡や模試の結果の返却などのホームルーム的な時間)」。

少年時代には徳井は遊園地のオーナー、福田はコックになりたいと言っていた[4]。その後大学時代に徳井は社会福祉士、福田は消防士になりたいと言っていたが、後にこの夢は東京アカデミーのCM内で実現した。
略歴
コンビ結成前

徳井、福田とも京都市左京区出身。

2人は幼馴染で、幼稚園(菊の花幼稚園)→小学校(京都市立修学院小学校)→中学校(京都市立修学院中学校)→高校(京都府立北稜高等学校)を共に過ごす。2人揃って大学受験に失敗し、同じ予備校(河合塾京都校)で1年間浪人。そして徳井は花園大学、福田は大阪学院大学へ進学した。

徳井は高校在学中、ティーアップのネタを友人と完全コピーして演じた時に笑いが取れたのをきっかけに、その友人とコンビ『赤とんぼ』を組み、漫才を始める。さらに大学浪人時代には、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)の「お笑い甲子園」で優勝した経験を持つ友人から、NSCへ一緒に行こうと半ば強引に誘われ、NSC大阪校13期生として入学後にコンビ『チューイング』を結成。しかしNSCを卒業してから、徳井を誘った相方が彼女との結婚を考えて芸人引退を決意したことでコンビは解散。徳井も一旦お笑いを辞め、大学へ進学した。

その後、徳井からコンビ解散の旨を聞いた福田が徳井を再びお笑いの道へと誘う。徳井は快諾するものの共に行動力がなかった上に次の一歩が踏み出せず、さらに「会ったら真剣に色々と話をしなくてはいけない」ということが当時学生だった2人にとって重かったことから、それまで毎日会っていたのだが突然連絡を取らなくなり2人は疎遠に[9]。だが3年後、大学4回生の春に社会人になるのか芸人を目指すのかを再び話し合い、就職難も相まって1998年3月、正式にコンビを結成[1][10]。当時は大学在学中だった彼らだが、芸人になりながらも福田は大学を卒業。一方の徳井は4回生の時点で2単位しか取っていなかったこともあり、もう一度芸人の活動を続けようと決めて中退した。
コンビ結成後

初舞台は1998年5月
[1]心斎橋筋2丁目劇場の「2丁目ワチャチャブレイク」という新人ばかりのライブだった。持ち時間は1分半あったが、わずか30秒で終了させられる[11]

レギュラー番組としての初仕事は『SUPER J Hit's COUNTDOWN』のロケコーナー。

テレビ初出演は1999年の「2cho-kenのガオラGAオーラ!!」での漫才[12]

テレビでの初レギュラー番組はバラエティ番組クヮンガクッ』(毎日放送)。

2002年1月から『せやねん!』(毎日放送)のコーナー「嗚呼!ニッポンの兄弟」を中川家から受け継いでコーナーレギュラーに。2008年までに及ぶ長期の担当となった。

2003年まではbaseよしもとを中心に活動。同年夏にbaseよしもと卒業後、うめだ花月で「ネタもん」「芝居もん」などにレギュラー出演。同劇場でトークライブ「チュートリアルのシャベルケ?」などを開催した。

2004年10月から2005年11月までスカパー!284chヨシモトファンダンゴTV『ワイ!ワイ!ワイ!』月曜日パーソナリティを務めた。彼らにとって東京での初司会で初レギュラー。

2005年4月から『ビーバップ!ハイヒール』(朝日放送テレビ)のレギュラーに。この番組への出演などをきっかけに個々の才能を開花させていく。

2006年4月、『せやねん!』でブラックマヨネーズの番組卒業に伴いレギュラー出演者に昇格。

2006年10月から12月まで『恋愛バラエティ ピンどん』(関西テレビ)が放送。地上波放送としては初のMCを務めた。

2006年12月、『M-1グランプリ』にて念願の優勝を果たす。賞レースで最優秀賞を獲得したのはこれが初めてだった[注 1]。これにより東京での仕事が増えたため徳井は2007年7月、福田は2007年9月に東京へ住居を移した。

2007年7月、母校の京都府立北稜高等学校から名誉卒業生として表彰された[13]

2007年9月、『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(TBSテレビ)で初出場にして100万円獲得[注 2]

2008年4月3日より、フジテレビ笑っていいとも!』(フジテレビ)に木曜日レギュラーとして加入。「M-1グランプリ」王者となった後でレギュラーに加入したのはチュートリアルのみであった。

2008年7月、先輩のネプチューンくりぃむしちゅーと共に出演する『しゃべくり007』(日本テレビ)放送スタート。

2008年8月30日、『24時間テレビ』(日本テレビ)の番組パーソナリティに抜擢される。

2009年4月7日、全国ネット初冠番組となる『チュー'sDAYコミックス 侍チュート!』(TBSテレビ)放送スタート。

2009年4月20日、関西ローカルでゴールデンタイム初冠番組『冒険チュートリアル』(関西テレビ)放送スタート。

2010年1月14日より全国ネットでのゴールデンタイムメイン番組『SUPER SURPRISE木曜日?つかめ夢の100万円!ミリオンダイス』(日本テレビ)放送スタート。

2019年10月、自身の不祥事によって徳井が活動を自粛。


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