チュ・クオック・グー
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ウー???UWU7U+/U*[[?], [?]ウ(音節末子音が無い場合は ウー)
ヴェーVvve[v], [j]ヴァ行(北部地方)/ヤ行(南部地方)
イクシXxich-xi[s]サ行
長いイー/
イグレッYyi dai
i-c?-ret[i?]イ(音節末子音が無い場合は イー)
[j]音節末では イー音

2字が組み合わさる子音

子音は特定の2字(ngh のみ3字)の組み合わせで別の音を表すものがある(二重音字三重音字)。下線をつけた子音字のみ音節末に立つことができる。

綴りIPA表記備考/日本語表記
音節頭音節末音節頭音節末
ch[t?], [c][c̚], [k?̚], [t̚]チャ行※ A, E, I の後ろのみ。
ach の場合はア段+イック音(例:b?ch=バイック)
ech の場合はエ段+イック音(例:l?ch=レイック)
ich の場合はイ段+ック音(例:xich=シック)(北部地方)/ッ(ット)音(中部・南部地方)
gh[?]ガ行(※ I, E, E の前のみ)
gi[z], [?], [j]ザ行(北部地域)/ジャ行、ヤ行(中部・南部地域)
※「i」「ie」が後続する場合は「ii」と二字綴らないで、頭子音の「i」を省略して一字だけ書く。
例:「gi」 + 「i?ng」= 「gii?ng」→「gi?ng」となる。

発音は「ジェン」(小さい「エ」)ではなく「ジエン」(大きい「エ」)である([zi?? ??])。
kh[x], [k?]通常はカ行(※ベトナム語の発音ではカ行とハ行の中間音)
ng[?][?], [??m]ガ行(※ I, E, E の前以外)ン(ング)音
ngh[?]ガ行(※ I, E, E の前のみ)
nh[?][?], [??], [n]ニャ行※ A, E, I の後ろのみ。
anh の場合はア段+イン音(例:banh=バイン)
enh の場合はエ段+イン音(例:l?nh=レイン)
inh の場合はイ段+ン音(例:xinh=シン)(北部地方)/ン音(中部・南部地方)
ph[f]ファ行
qu[k(w)], [w]クワ行(北部地方)/ワ行(南部地方)(※ Q の後には必ず U が続き、qu と綴られる)
th[t?]タ行
tr[t?], [ʈ], [c], [ʈ͡?], [tr]チャ行(※トラ行で表記される場合もある)

通常は使用されない文字

F, J, W, Zの4字は過去には通常でも使用されていたが、現在は外来語、借用語、造語でしか使用されない。

名前の読み大文字小文字文字名同じ発音の文字
エッフFfepph
ジーJjgigi
ダップリュー/
ヴェーケップWwve-kepo..., u...
(後ろに母音が続く場合)
ゼッZzdetd

声調記号

以下の6種類(うち1種類は記号なし)の声調記号を母音字(主母音、または、介母音)の上部(6.thanh n?ng タィンナン (重調) のみは下部)に付記する(例:?, ?, y, ?)[4]

音節末子音「p, t, c/k, ch」は、「3.thanh s?c(鋭調)」と「6.thanh n?ng(重調)」の2つの声調しか取らない。日本語表記にはよく促音「ッ」が用いられる。

音節末子音「m, n, ng, nh」においても、平仄がb?ng (平)の場合は、日本語表記にはよく長音記号「ー」が用いられ、tr?c (仄)の場合は長音記号は不要。

番号声調名読み記号声調パターン声調値とIPA表記平仄キーボード入力方式備考日本語表記
TelexVNIVIQRWindows音節末「c/k・ch・p・t」の場合音節末「n・ng・nh・m」の場合
1thanh ngangタィンガン(平調[平声、横声])(なし)中平調? 33b?ng (平)不要不要不要不要普通の高さより少し高めで平らに伸ばす声調無しよく長音記号「ー」が用いられる
Z0-
2thanh huy?nタィンフイェン(垂調[玄声])` (グレイヴ)低降調(低平調)? (??) 21 (22)b?ng (平)F2`5残念そうに、やや低い所から伸ばすようにゆっくりと低く下がる声調無しよく長音記号「ー」が用いられる
3thanh s?cタィンサッ(ク)(鋭調[鋭声])´ (アキュート)高昇調?? 35tr?c (仄)S1'8普通の高さから一気に素早く上昇するよく促音「ッ」が用いられる長音記号は不要
4thanh h?iタィンホーイ(問調[問声]) ? (フック)降昇調??? 312 (313)tr?c (仄)R3?6普通の高さからゆっくりと低く下がって、最後に少し上がる(個人差があり、上がらないこともある)声調無し長音記号は不要
5thanh ngaタィンガー(転調[跌声])? (チルダ)高昇調(昇降調)+喉頭化??? (????) 3?5 325 (324)tr?c (仄)X4~7最初から喉の緊張を伴いながら、普通の高さから少し上がって、一瞬声門を閉じた後、急激に上がる声調無し長音記号は不要
6thanh n?ngタィンナン(重調[重声]) ? (ドット)低降調+喉頭化?? (???) 21? (21)tr?c (仄)J5.9最初から喉の緊張を伴いながら、重々しく喉の奥で音を押し殺すように、やや低い所から一気に下がって声門を閉じる(他の声調よりも音の長さが少し短い)よく促音「ッ」が用いられる長音記号は不要

ここで示した声調値は五度式であり、5が最も高く、1が最も低いことを表す。


声調記号は単独で記載されることは無く、常に母音字に組み合わせて下表のように表記される。母音字はダイアクリティカルマーク付きのものを含めて12字存在するため、母音字と声調記号の組み合わせは72パターンとなる。ラテン文字表記の言語としては珍しく1文字に複数のダイアクリティカルマークを付した表記が多用されることが特徴的である。

番号声調名a?aeeioo?u?y
1thanh ngangAa??AaEeEeIiOoOo??Uu??Yy
2thanh huy?nAa????Ee??IiOo????Uu????
3thanh s?cAa????Ee??IiOo????Uu??Yy
4thanh h?i????????????????????????
5thanh ngaAa??????????Oo??????????
6thanh n?ng????????????????????????















分かち書き

分かち書きは、西欧言語で一般的な単位ではなく音節ごとに行う。固有名詞で複数音節の場合は、全音節の頭を大文字にする(例:○ H? Chi Minh, ? H? chi minh)
歴史アレクサンドル・ドゥ・ロードが作成した、ベトナム語のローマ字表記の辞書。チュ・クオック・グーの原型となった。1938年に北圻で発行された行政文書。左にはチュ・クオック・グーと漢喃文が併記され、右にはフランス語の訳と印章がある。チュ・クオック・グーで綴られた縦書き対聯。Nhan Dan mai mai nh? ?n ng??i:人民は永遠に人(ホー・チ・ミンを指す)の恩を覚える/T? qu?c ??i ??i ghi cong bac:祖国は永久におじさん(ホー・チ・ミンを指す)に属する

ベトナムでは、公式な書き言葉として、20世紀に至るまで漢文が用いられてきた。また、漢字語彙以外のベトナム固有の語を表記するための文字であるチュノム13世紀に発明されて以降徐々に発展し、知識人の間などで使用されてきたが、漢字をより複雑にしたものであり習得が難しく統一した規範も整備されなかった。18世紀西山朝などの一時期を除き、公文書では採用されなかった。

1651年に、フランス人宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが、現在のチュ・クォック・グーの原型となるベトナム語のローマ字表記を発明したが、主にヨーロッパ宣教師のベトナム語習得用、カトリック教会内での布教用に使用されるのが主であり、一般のベトナム人に普及することはなかった。

こうした状況に変化を生じさせたのが、19世紀後半以降のフランスによるベトナム阮朝の植民地化である。まず、初めにチュ・クオック・グーの普及が始まったのは南圻(ナムキ:ベトナム南部)からである。1862年サイゴン条約によりフランスは柴棍(サイゴン:現在のホーチミン市)など南圻一帯を領有することとなったが、領有と同時に当該地域でのフランス語の公用語化、補助言語としてのチュ・クオック・グーによるベトナム語のローマ字表記化が図られた。1867年にはサイゴンにて、ベトナム初のチュ・クォック・グー紙である『嘉定報 (Gia ??nh bao)』が刊行されている。1887年清仏戦争に勝利したフランスは仏領インドシナを成立させ、阮朝の帝都・順化(現在のフエ)が所在する安南(中圻:チュンキ)、古都・河内(ハノイ)が所在する東京(トンキン、または北圻:バッキ)を含めたベトナム全域を植民地化、保護国化した。当該地域でもフランス当局は、フランス語とチュ・クォック・グー教育の推進を図ったが、チュ・クォック・グー教育はあくまでも補助的なものであり、最終的なフランス語の公用語化を円滑に進めるため、ベトナム語のローマ字化を図ったに過ぎなかった。ベトナムの伝統・文化を軽視するフランスの教育政策には反発が強く、漢文の素養を重んずる伝統的な知識人に受け入れられるところではなく、またローマ字表記のチュ・クオック・グーは蛮夷の文字であるとの認識は一般大衆の間でも根強かったことから、20世紀初めの段階では国民文字としてベトナム人の間で認識されるまでには至らなかった。

1906年に、フランス当局はベトナム人植民地エリートの養成を目的として、フランス語、チュ・クオック・グー教育を柱とした「仏越学校」を設立した。しかしチュ・クオック・グーは初等教育の3年間のみ教授され、漢文は中等教育での選択科目にとどめられるなど、フランス語を中心とした教育体制であることに変化はなかった。科挙においても、漢文に加えて、チュ・クオック・グー、フランス語の課目が必修となった。

この時期、支配を受けるベトナム人知識人の間からもチュ・クオック・グーを蛮夷の文字として排斥するのではなく、むしろ受容することにより、ベトナム語の話し言葉と書き言葉を一致させて民族としてのアイデンティティーを獲得しようとする動きも出てきた。1905年にはハノイで初めての漢文、チュ・クオック・グー併記の新聞『大越新報 (??i Vi?t tan bao)』が創刊された。さらに1907年には、ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)らと共に当時のベトナム独立運動の中心にいたファン・チュー・チン(.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}潘周驕jにより、ハノイに「東京義塾 (?ong Kinh Ngh?a Th?c)」が創立され、同校では、漢文に加え、チュ・クオック・グー、フランス語が教授された。

フランス当局の後ろ盾により、総督府寄りの姿勢ではあったものの、チュ・クオック・グーを使用した文芸誌として、1913年にグエン・ヴァン・ヴィン(阮文永)主筆の『インドシナ雑誌(東洋雑誌/?ong D??ng t?p chi)』、1917年にファム・クィン(范瓊)主筆の『南風雑誌 (Nam Phong t?p chi)』が創刊された。南風雑誌は、漢文とチュ・クオック・グーが併用されており、時期を経るごとにチュ・クオック・グーの使用比率が高まっていったことから、当時のベトナムの文字環境の推移に関する重要な研究材料となっている。


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