チュニジア
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2004年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は74.3%(男性:83.4% 女性:65.3%)である[35]

主な高等教育機関としては、ザイトゥーナ大学(737年)、チュニス大学(1960年)、カルタゴ大学(1988年)、エル・マナール大学(2000年)などが挙げられる。名門リセ(高校)としてはサディーキ校(1875年)も挙げられる。
保健詳細は「チュニジアの保健(英語版)」を参照

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治安

2021年03月25日時点で日本国外務省は「チュニジアの一般的な治安は比較的安定していますが、デモ隊と治安部隊との衝突、テロ事件の発生、テロ組織の摘発等が散見されますので、治安情勢には十分注意してください。近年では、凶器を使った強盗事件やひったくり事件等、日本人が犯罪の被害に遭うケースもみられます。特に、外国人旅行者は標的となりやすいので、所持品(多額の現金、デジタルカメラ、スマートフォン、旅券等)の管理には十分な注意が必要です。」としている[36]

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人権詳細は「チュニジアにおける人権(英語版)」を参照

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マスコミ詳細は「チュニジアのメディア(英語版)」を参照

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文化チュニジアの民族音楽団生誕地のチュニスに建立されたイブン・ハルドゥーンの銅像詳細は「チュニジアの文化(アラビア語版、英語版)」を参照
食文化詳細は「チュニジア料理(アラビア語版、英語版)」を参照

代表的なチュニジア料理としてはクスクス(粒状のパスタ)、ブリック、ラブレビなどが挙げられる。チュニジアはイスラーム国であるが、ワインの生産国でもある。チュニジア・ワインにはフランスワインの影響によりロゼワインも多い。マツの実入りのミントティーがあり、オレンジゼラニウムなどの花の蒸留水フラワーウォーターはコーヒー、菓子に入れる。
文学詳細は「アラビア語文学」および「チュニジア文学」を参照

大多数のチュニジア人の母語はアラビア語である。[37]。現代の代表的なチュニジア出身の作家としては、アルベール・メンミ、アブデルワハブ・メデブ、ムスタファ・トゥリリなどが挙げられる。
哲学

中世において「イスラーム世界最大の学者」と呼ばれる[38]チュニス出身のイブン・ハルドゥーンは『歴史序説』を著わした。ハルドゥーンは『歴史序説』にてアサビーヤ(集団における人間の連帯意識)を軸に文明の発達や没落を体系化し、独自の歴史法則理論を打ち立てた。ハルドゥーンは労働が富を生産するとの概念を、18世紀に労働価値説を唱えたアダム・スミスに先んじて説くなど天才的な学者であった。
映画詳細は「チュニジアの映画(英語版)」および「チュニジア映画の一覧(アラビア語版)」を参照

チュニジアは映画制作の盛んな国ではないが、チュニジア出身の映像作家としては『チュニジアの少年』(1990年)のフェリッド・ブーゲディールや、『ある歌い女の思い出』(1994年)のムフィーダ・トゥラートリなどの名が挙げられる。

1966年から二年に一度、カルタゴ映画祭が開催されている。「アフリカ映画」も参照
音楽詳細は「チュニジアの音楽」を参照

15世紀にスペイン人が移民した後にアンダルシアから輸入された音楽の一種である「マルーフ」で最もよく知られている。
世界遺産詳細は「チュニジアの世界遺産」を参照

チュニジア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が7件、自然遺産が1件存在する。

チュニス旧市街 - (1979年、文化遺産)

カルタゴ遺跡 - (1979年、文化遺産)

エル・ジェムの円形闘技場 - (1979年、文化遺産)

ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡 - (1985年、文化遺産)

スース旧市街 - (1988年、文化遺産)

ケルアン - (1988年、文化遺産)

ドゥッガ/トゥッガ - (1997年、文化遺産)

イシュケル国立公園 - (1980年、自然遺産)

祝祭日詳細は「チュニジアの祝日(英語版)」を参照

日付日本語表記現地語表記備考
1月1日元日
移動祝日犠牲祭イスラム暦による
移動祝日イスラム暦新年イスラム暦による
3月20日独立記念日
3月21日青年の日
4月9日革命犠牲者弔日
移動祝日モハメット誕生日イスラム暦による
5月1日メーデー
7月25日共和国記念日
8月13日女性の日
10月15日フランス軍撤退記念日
移動祝日ラマダーン明けイスラム暦による
11月7日大統領就任記念日

スポーツ詳細は「チュニジアのスポーツ(アラビア語版、英語版)」を参照
サッカー詳細は「チュニジアのサッカー(アラビア語版、英語版)」を参照

1907年よりアマチュアリーグが開催されており、1921年フランスサッカー連盟(FFF)と提携しプロリーグのチュニジア・リーグが創設された。名門クラブのエスペランス・チュニスが同リーグを支配しており、7連覇を含むリーグ最多31度の優勝を達成している。また、エトワール・サヘルが "FIFAクラブワールドカップ2007" で4位の成績を収めている。サッカーチュニジア代表FIFAワールドカップには6度出場しているものの、いずれもグループリーグ敗退となっている。アフリカネイションズカップでは、自国開催となった2004年大会で初優勝を果たした。
オリンピックスタッド・オリンピック・ドゥ・ラデ詳細は「オリンピックのチュニジア選手団」を参照

チュニジアの国技サッカーであり、圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。サッカー以外では陸上競技が盛んで、モハメド・ガムーディ1968年メキシコシティー五輪・男子5000mで、金メダルなどメダル4個を獲得した。また、競泳ではウサマ・メルーリ2008年北京五輪・男子1500m自由形で、アハメド・ハフナウィが2021年東京五輪・男子400m自由形で、それぞれ金メダルを獲得している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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