チュニジア
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政権崩壊後の総選挙でナフダ(アンナハダ)が与党となったが、2023年4月に当時の党首が拘束されるとともに、治安当局により党本部が閉鎖された[10]。有力な政党として、大統領のカイス・サイードを支持する7月25日運動が挙げられる。他に非合法化されたチュニジア共産党の流れを組むエッタジディード(変革)運動があったが、同党は他勢力と統合し「社会民主の道運動」(アル・マサール)になっている。

過去にもイスラーム主義政党も存在したが、共産党と同様に結党が禁じられていた。
司法

司法権は最高裁判所が担っている。
国際関係詳細は「チュニジアの国際関係(アラビア語版、英語版)」を参照

独立直後から暫くはフランス軍ビゼルト基地問題や、アルジェリア戦争への対応を巡ってフランスと対決する姿勢で接したが、1970年代以降は親フランス、親西側政策が続いている。1980年代に入るとアラブ連盟の本部がエジプトの首都カイロからチュニスに移転し、事務局長にチュニジア人が選ばれ、1990年代のエジプトの連盟復帰までアラブ諸国の盟主にもなった。初代大統領ブルギーバはセネガルの初代大統領サンゴールらと共にフランコフォニー国際組織の設立に尽力した。

1974年1月にチュニジア国内の親アラブ派の意向によってリビアと合邦が宣言され、アラブ・イスラム共和国の成立が宣言されたが、この連合はすぐに崩壊した。その後、リビアはチュニジアと対立し、1980年のガフサ事件ではリビアで訓練を受けたチュニジア人反政府勢力がガフサの街を襲撃し、多くの被害を出した。1985年にはリビア軍がチュニジアとの国境付近に集結し、チュニジアを威嚇した。

パレスチナ問題を巡っては、チュニジアは僅かながら第三次中東戦争第四次中東戦争にアラブ側で派兵した。1982年にパレスチナ解放機構(PLO)の本部がチュニスに移転。1985年にはPLOと対立するイスラエルの空軍による爆撃を受けた(木の脚作戦)。オスロ合意後の1994年にパレスチナに再移転した。チュニジアにはパレスチナ人難民はごく僅かしか流入しなかった。チュニジアはイスラエルを国家承認しているが、関係は決して良好とは言えず、ガザ紛争 (2008年-2009年)においてはイスラエルを非難している。
日本との関係詳細は「日本とチュニジアの関係」を参照

在留日本人数 - 136名(2018年10月,在留邦人統計)[11]在日チュニジア人数 - 907名(2019年12月,在留外国人統計)[11]

2017年、元明治大学生の高橋佑規がチュニジアのバラエティ番組に出場しコントを披露したところ、評判となり、多数の番組に出演。アジア人の象徴的呼称がジャッキー・チェンから高橋に変化するほどの社会現象を引き起こした[12]

駐日チュニジア大使館
詳細は「駐日チュニジア大使館」を参照

住所:東京都千代田区九段南三丁目6-6

アクセス:JR総武線東京メトロ南北線有楽町線都営新宿線市ケ谷駅A3出口、または東京メトロ東西線半蔵門線九段下駅2番出口


チュニジア大使館全景

チュニジア大使館プレート

両国友好のディスプレイ

国家安全保障詳細は「チュニジア軍」を参照

チュニジア軍は陸軍、海軍、空軍の三軍から構成され、総人員は約35,000人である。三軍の他にも内務省指揮下の国家警備隊と沿岸警備隊が存在する。成人男子には選抜徴兵制が敷かれている。

兵器体系はかつて中国から購入した哨戒艇などを除いて殆ど西側に準じている[13][14]
地理詳細は「チュニジアの地理(アラビア語版、英語版)」を参照チュニジアの地図チュニジア北部の平原メジェルダ川チュニジア南部のサハラ砂漠

国土は、北端から南端までが約850キロメートル、東の沿岸から西方の国境まで約250キロメートルと細長く、南北に伸び、南端は先の細いとがった形である[15]。東はリビア、西はアルジェリアに隣接する。北岸、東岸は地中海に面する。

国土は北部のテル地域と中部のステップ地域、南部のテル地域の3つに大きく分けられる。北部地中海沿岸にはテル山地があり、その谷間を北東にメジェルダ川が流れている。メジェルダ川流域のメジェルダ平野は国内で最も肥沃な穀倉地帯になっている。東側の地中海に面した海岸線は約1300キロメートルにわたる。北からチュニス湾ハンマメット湾ガベス湾と並び、良港も多い。この沿岸部に古くから定住民が集住した[16]。その南には、アルジェリアから続くアトラス山脈中の国内最高峰であるシャンビ山(1,544m)以東がドルサル山地となっている。ドルサル山地は地中海からの湿気を遮るため、ドルサル山地より南はガベス湾までステップ気候になっていて、西部の標高400m?800mの地域をステップ高原、東部の標高400m以下の地をステップ平原と呼ぶ。ステップ高原の南には平方5000kmのジェリド湖塩湖)がある。この塩湖の北にある町メトラーウィやその西のルダイフでは19世紀の末からリン鉱石の採掘が開始され、現在ではその産出量は世界第5位で、チュニジアの主要な輸出品ともなっている[17]

ガベス湾の沖にはジェルバ島が存在する。南半分はサハラ砂漠になっており、マトマタから南東にダール丘陵がリビアまで続く。ダール丘陵から東には標高200m以下のジェファラ平野が広がる。この砂漠は風によって絶えず景色が変化する砂砂漠(エルグ)、ごつごつした石や砂利と乾燥に強い植物がわずかにみられる礫砂漠、または植生のない岩肌がむき出しになっている岩石砂漠が広がっており、砂砂漠は一部であり、大部分は礫砂漠と岩石砂漠で占められている[17]

ケッペンの気候区分によると、北部の地中海沿岸部は地中海性気候となり、地中海沿岸を南に行くとスファックス付近からステップ気候になる。さらに南のサハラ砂漠は砂漠気候となる。春から夏にかけてサハラ砂漠から北にシロッコと呼ばれる熱風が吹き出す。北部では冬に雪が降ることがある。チュニスの年間降水量は470mm前後だが、北部のビゼルトでは1,000mmを超える。
地方行政区分チュニジアの県詳細は「チュニジアの行政区画」を参照

チュニジアには24のウィラーヤ(県)(アラビア語表記:?????)に分かれている。各県の県知事は大統領による任命制。body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}
アリアナ県 Ariana

ベジャ県 Beja

ベンナラス県 Ben Arous

ビゼルト県 Bizerte


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