10月25日にはトラス首相の辞任に伴い、バッキンガム宮殿で自身の即位後で最初の首相任命をリシ・スナク保守党党首に対して行う[41]。11月22日には南アフリカ共和国大統領シリル・ラマポーザが訪英[42]。スナク首相らと共に迎え、自身の即位後で初となる外国首脳の公式訪問を受けた[42]。12月6日にはロンドン近くにて市民と交流中だったところ20歳の男に卵を投げつけられたとみられる事件が発生した[43]。
12月25日、自身の即位後初の国民向けのクリスマスビデオメッセージを送った[44][45]。戴冠式を終えたチャールズとカミラ
2023年5月6日、ウェストミンスター寺院で自身とカミラの戴冠式が執り行われた。日本からは秋篠宮文仁親王・同妃紀子が参列した[46]。また、天皇徳仁・皇后雅子からの祝電が送られた[47]。式典には王族に加え、首相経験者及び各国の君主や首脳ら2千人超が参列した。ウクライナ侵略に伴い英国政府の制裁対象になっているロシアやベラルーシは招待されなかった。式典では、国王チャールズ3世は英国とイギリス連邦の統治を「厳粛に約束する」と宣誓した。イングランド国教会における最高位聖職者カンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビーからイギリス王室の至宝「聖エドワード王冠」を授かり、妻のカミラ王妃も冠をかぶった。最も神聖とされる君主に聖なる油を塗る儀式も執り行われた。また、国王の意向でキリスト教以外の宗教代表が初めて式の進行に携わった。ヒンドゥー教徒であるリシ・スナク首相が聖書朗読を行い、女性聖職者が新約聖書の一部を読み上げるなど「多様性」を重視する試みを打ち出した。式典終了後、国王・王妃は歴代国王が使用した豪壮な馬車「ゴールド・ステート・コーチ」に乗り、バッキンガム宮殿に戻った。馬車に随伴して計7千人のイギリス軍兵士らがパレードした。その後、国王は王妃らと宮殿のバルコニーに現れ、集まった国民に手を振った。軍楽隊や騎兵隊、700年の歴史を持つ木製の戴冠式用椅子、国王に油を塗るための古いスプーンなど多くの伝統や道具が用いられた。英国の戴冠式は、王位継承に伴い君主が王冠をかぶる伝統儀式で過去約1千年にわたって開かれてきたが、記録的なインフレーションによる国民の生活苦に配慮し、母・エリザベス2世の式典より招待客数を減らして時間を短縮するなど簡素化が図られた[48][49]。
2024年1月、前立腺肥大症の治療を受けていたチャールズの、健康上の問題が公に表面化。同年2月5日夜、がんと診断されたと発表。また、ベル麻痺を特徴とする健康危機と戦っていることを、王室内部関係者が報告。チャールズは、表だった公務を停止し、集中的な治療を開始した。2024年4月26日、治療と並行し公務に復帰すると発表された[50]。 皇太子時代に以下の計5回、訪日している[58]。 チャールズ3世は、イギリスを含め15の国家(英連邦王国)の国王・元首かつコモンウェルス首長(イギリス連邦の長)、イングランド国教会首長(信仰の擁護者)である。そして、英連邦王国(レルム)各国で異なる正式称号を所有している。
その他のスキャンダル
1992年、ダイアナ妃との離婚が発表されてから間もない頃、チャールズがカミラに「君のズボンのなかで暮らしたい」と言うと、カミラは「パンツになりたいの?」と聞き返し、そしてチャールズが「神様お許しください、僕は君のタンパックス(タンポン)」になりたい」などと発言した「タンパックス・ゲート(またの名をカミラ・ゲート) (en:Tampongate scandal) 」とも呼ばれるカミラとの会話テープが、オーストラリアとドイツのメディアでは全部、母国イギリスでは部分的に放送され、暴露された[51][52][53][54]。
サンデー・タイムズは2022年7月31日、チャールズが2013年ごろ、ウサマ・ビン・ラディン容疑者の異母兄弟から、100万ポンドの寄付を受け取ったと報じた[55][56]。この際、チャールズは、側近の忠告をまったく聞き入れなかったという[57]。
訪日歴
1970年(昭和45年): 日本万国博覧会(大阪万博)視察のため。
1986年(昭和61年): 公賓として(ダイアナ妃同伴)。
1990年(平成2年): 天皇明仁の即位の礼への参列のため(ダイアナ妃同伴)。
2008年(平成20年): 「日英修好通商条約調印150周年」にあたり公賓として(カミラ夫人同伴)。
2019年(令和元年): 天皇徳仁の即位の礼への参列のため。
称号・呼称詳細は「チャールズ3世の称号と栄典(英語版
イギリスにおける称号・呼称