チャールズ・タウンズ
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彼らの新システムは初期のB-52に実験的に搭載されたことがある。戦後もタウンズはベル研究所で研究を続け、さまざまな波長で動作する実験的新レーダーを開発した。

1948年、ベル研究所からコロンビア大学物理学科に移り、応用物理学の世界から実験物理学の世界に戻った。コロンビア大学での研究にも海軍が資金を提供しており、さらに小型のレーダーを開発してもらおうとしていた。ベル研究所では1.25センチメートルの波長のレーダーを開発した。コロンビア大学に移って以降、軍は数ミリメートル波長のレーダーの開発を望んでいた。波長が短くなるにつれ、タウンズらはマイクロ波の研究に集中するようになっていった。1951年、タウンズはメーザーのアイデアを考案。3年の月日をかけてメーザーを実際に完成させた。

レーザーは1960年にセオドア・メイマンによって実現した。1954年にソビエト連邦ニコライ・バソフと、アレクサンドル・プロホロフも独立して誘導放出の増幅に関する研究を発表し、1964年タウンズ、バソフ、プロコロフの3人がノーベル物理学賞を受賞した。

1961年にシュワルツと共著でネイチャー誌に、地球外知的生命からのレーザー光線検出についての理論的考察を発表した。これは光学SETIに関する世界初の論文である。

タウンズはウィルソン山天文台の赤外線空間干渉計の開発を指揮し、中間赤外域を観測する世界初の天文用干渉計となった。カリフォルニア大学バークレー校でも天体物理学天文学の研究を続けている。アーサー・ショーローとの共著 Microwave Spectroscopy が1955年に出版されている。

1966年から1970年まで、NASAアポロ計画の科学諮問委員会の委員長を務めた。
科学と宗教

キリスト連合教会の一員として、タウンズは「科学と宗教は多くの人々が考えるより極めて類似していて、長い目で見れば両者は統一されるはずだ」と述べている[3]。2005年にはテンプルトン賞を受賞した。
日本との関わり

1953年には、国際理論物理学会 東京&京都 で来日した。

1956年の約1年間、米国science councilのメンバーとして家族で日本に駐在している。この時住んでいたのが後に芥川賞を受賞した柏原兵三邸であった。

1989年に富士通から発売された世界初のCD-ROMを標準搭載したパーソナルコンピュータ「FM TOWNS」のネーミングは彼の名前に由来する。
受賞歴

1958年 -
コムストック物理学賞米国科学アカデミー

1959年 - モーリス・N・リーブマン記念賞

1959年 - スチュアート・バレンタイン・メダル(フランクリン協会(英語版))

1959年 - リヒトマイヤー記念賞

1961年 - IEEEデイヴィッド・サーノフ賞

1961年 - ランフォード賞アメリカ芸術科学アカデミー

1962年 - ジョン・カーティー賞(米国科学アカデミー)

1962年 - スチュアート・バレンタイン・メダル(2回目)

1963年 - Young Medal and Prize(イギリス物理学会光学に関する賞)

1964年 - ノーベル物理学賞(ニコライ・バソフアレクサンドル・プロホロフと共同)

1967年 - IEEE栄誉賞

1970年 - ヴィルヘルム・エクスナー・メダル

1972年 - レムセン賞

1979年 - Niels Bohr international medal (原子力の平和利用への貢献に対して)

1982年 - アメリカ国家科学賞

1996年 - フレデリック・アイヴズメダルアメリカ光学会

1998年 - ヘンリー・ノリス・ラッセル講師職アメリカ天文学会

2000年 - ロモノーソフ金メダルロシア科学アカデミー

2002年 - カール・シュヴァルツシルト・メダル

2005年 - テンプルトン賞

2006年 - ヴァネヴァー・ブッシュ賞ラジ・レディと共同)

2010年 - 国際光工学会ゴールドメダル

科学アカデミー会員

1956年 -
米国科学アカデミー正会員

1980年 - サウスカロライナ州の科学技術の殿堂入り

1994年 - ロシア科学アカデミー外国人会員


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