チャールストン_(ウェストバージニア州)
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バージニア州は連邦から脱退して南部連合側であったにもかかわらず、連邦側がチャールストン、および州西部を占領していたため、州分割の機運が高まった。1863年6月20日に大統領エイブラハム・リンカーンバージニア州北西部を連邦に戻すと宣言、連邦35番目の州としてウェストバージニア州が誕生した。
市が州都に決定

州はできたものの、州都はなかなか決まらなかった。しばらくの間は、州都はチャールストンとホイーリングとの間を絶えず行き来した。州都を決めるため、1877年に州民による最終投票が行われた。1885年についにチャールストンが州都に選ばれ、州会議事堂が建立された。

1921年の火事の後突貫工事で建て直された庁舎は1927年に再び焼失した。しかし、1921年の州法で設置された州庁舎建設委員会により、現在の庁舎を建てることが認められた。建築家カス・ギルバートがデザイン、1000万米ドルの巨費を投じた新しい庁舎は、1932年6月20日についに開かれた。
20世紀前半

チャールストンはウェストバージニア州の州都となった。天然ガス石炭といった豊富な天然資源鉄道の延伸により、市は化学工業・ガラス・木材・鉄鋼業などの工業都市として発展を遂げた。ダウンタウンは建設ラッシュになった。現在においても、当時立てられた教会やオフィスビルのいくつかはダウンタウンの中心に建っている。
20世紀中盤

第二次世界大戦中、全米最大の合成ゴム会社がチャールストン近郊で操業を開始し、軍需産業においてもチャールストンは重要な市になった。1947年にはカナー空港(現イェーガー空港)が開港。この360エーカーの空港を建設するにあたって山を3座切り開き、900万立方ヤードの土を動かすなど、当時としては技術の粋を集めた建設であった。1960年代に入ると州間高速道路が建設され、チャールストンは3本の州間高速道路が交わる要所となった(後述)。
1980・90年代

1980年代に入ると、市の再開発が始まった。1983年に開店した3階建てのチャールストン・タウン・センター・モールはその1つで、ミシシッピ川以東では最大の市街地型ショッピングセンターである。1990年代には新しい連邦ビルやリバーフロント・パーク、キャピトル・マーケットなどが建設され、ダウンタウンの再成長を促した。また、チャールストンは州でも一級の医療施設を揃える都市としても知られている。
地理チャールストン・ウェストサイド

チャールストンは北緯38度20分50秒 西経81度38分0秒 / 北緯38.34722度 西経81.63333度 / 38.34722; -81.63333に位置している。日本の仙台市宮城県)や山形市山形県)とほぼ同緯度である。

アメリカ合衆国統計局によると、チャールストン市は総面積84.7km2(32.7mi2)である。このうち81.8km2(31.6mi2)が陸地で2.8km2(1.1mi2)が水域である。総面積の3.36%が水域となっている。
交通
空港イェーガー空港ターミナル

市の玄関口となっているのはイェーガー空港である。同空港はダウンタウンの東約5kmに位置している。ダウンタウンよりも100m高い丘の上に位置しているため、空港からはダウンタウンを見下ろす格好になる。
鉄道

アムトラックチャールストン駅があり、ニューヨークシカゴシンシナティ経由で結ぶ夜行長距離列車カーディナル号(英語版)が週に3往復停車する[3]
バス

グレイハウンドのバスターミナルはダウンタウンにあり、オハイオ州を縦断してコロンバスを経由し、デトロイトに至るバス路線の起点になっている。また、シャーロットクリーブランドへもバスの便がある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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