チャーリー・ワッツ
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ワッツの死後、バンドはビル・ワイマンの後任ベーシストダリル・ジョーンズ同様正式なドラマーは置かず、スティーヴ・ジョーダンをサポートメンバーに据えて現在に至る。
人物

女性関係や薬物などのワイルドなパブリックイメージが強いストーンズの中にあって、唯一初婚を貫き、スーツ姿の似合う英国紳士然とした風貌を持つ。しかしながら、若き日々には熱血漢としての逸話も多かった。長髪隆盛期だった1960年代末頃から1970年代にかけて、敢えて丸刈りにしたこともある。

ステージではミック・ジャガーとは対照的に感情をあまり表に出さず、涼しげな顔で独特のドラム・フレーズを叩き出す姿が、音楽雑誌のライブ・レポートに毎回のように取り上げられている。かつて、レコーディングの遅れに業を煮やしたリチャーズが、24時間ぶっ通しのスタジオ篭りを決行した際には、他のメンバーが付き合いきれず次々と帰ってしまう中、24時間後に残っていたのはワッツのみであり、水ぶくれが潰れて手に血が出ても顔色ひとつ変えずにドラムを叩いていたという。このためリチャーズからは絶大な信頼を得ている他、こうした人柄から1990年代以降のツアーでは、メンバー紹介の際にメンバーたちから崇められるといった場面もある。特に2005年から行われた「ア・ビガー・バンツアー」では小康状態だったものの、癌治療中であるにもかかわらずツアーを断行したため、観客からはとりわけ大きな歓声があがった。音楽プロデューサーの宇都宮一生は、ワッツがストーンズの要であると評価している[6]ベルリン国際映画祭にて(2008年)

前述の通り、プロ・ミュージシャンになる以前はグラフィックデザイナーだった経歴を持っている。現在もストーンズのステージ・セットのデザインをデザイナーのマーク・フィッシャーやジャガーと共に手掛けている他、Tシャツなどグッズのデザインチェック等にもジャガーと共に携わっている。また、ツアーの際に初めて泊まるホテルの部屋の内装をスケッチするという。

ロックバンドの一員として活動しているが大変ジャズ志向が強く、ソロワークについても全てジャズに関するものである。「今でも自分はジャズ・ドラマーだと思ってる。ジャズ・ドラマーがたまたま世界一のロックバンドに入ってるって事だよ[7]」「ロックは子供の音楽だ」などと公言して憚らない一面もある。2010年オーストリアのOsterreich紙のインタヴューでは「ビートルズのファンになった事はない。リンゴ・スターのファンだ。でも音楽は違う。それに『エルヴィスは嫌い』だった。指針にしようなんて思った事はない。ビートルズエルヴィスはノー。マイルスはイエスだ」と語っている。

1989年以降ストーンズが再び精力的にワールド・ツアーを行うようになると、記者会見やインタビューなどでストーンズが今後もツアーを続けるかと問われる度に、ジャガーやリチャーズが肯定的に発言するのに対し、毎回のように今回が最後だと発言している。それでもストーンズのメンバーであることに対し「ストーンズが明日なくたって生きていける。だけどそうしようとは思わないね」「僕はただこのバンドでドラムを叩くのが好きなだけなんだ」というコメントも残しており、バンドへの愛着は随所で窺える。しかしながら21世紀に入った現在、自身が喉頭癌であることが発覚して以降、ストーンズの新曲発表からワールド・ツアーといった長期的な活動については否定的なコメントをしており、「家族との時間を大切にしたい」「(2014年のツアーについて)この年齢でこんな大規模なツアーを行う事自体馬鹿げてる」とも語っている。こうした発言が多くなっているためか、近年は、ストーンズを脱退するのではないのかと噂されることもあった。

ワッツのジャズ愛好ぶりはストーンズのサウンドにも影響を与えた。レコーディングに大物のジャズ・ミュージシャンが度々ゲスト参加しているが、これはワッツの意見によるところが大きいと言われている。『刺青の男』レコーディング時に、ジャガーが最高のサックス・プレイヤーは誰かと尋ねてきたのでソニー・ロリンズの名前を挙げると、後日ニューヨークのスタジオをロリンズが訪れたという。『ブリッジズ・トゥ・バビロン』にはウェイン・ショーターが参加しており、直後のツアーのエドワード・ジョーンズ・ドーム公演ではたまたまセントルイスの街に居たジョシュア・レッドマンがゲスト出演している。また、ストーンズのツアー中であるにもかかわらず、訪れた街でジャズ・クラブなどに足を運んでは、飛び入りで演奏することもある。日本のジャズ雑誌も定期購読している。日本語は解さないものの、写真を見たりすることで誰がどれくらい人気があるか見当はつくらしく、各レコード会社が出している広告を眺めるのも楽しみにしており、来日した際にはその雑誌の広告やレビューでチェックしたアルバムのリストを見せ「これらのCDはどこで買えるのかな?」と逆にマスコミを質問攻めにしたこともある。

趣味は園芸牧場も所有しており、休日には妻と乗馬を楽しんだという。
ドラム・スタイル全盛期のプレイ(1981年)近年のプレイ(2010年)

チャーリーのドラミングは特徴的である。通常のドラマーは8ビートではハイハットを連打し続けるが、彼の場合はスネアドラムのサウンドをより鮮明に浮き立たせるため、左手でスネアを叩く時はハイハットを叩かなかった(ただし、曲によっては連打する場合もある)。"省エネ奏法"と呼ばれるこのプレイスタイルこそがストーンズ独特のグルーヴを生み出したという声も数多い。本人は「僕も指摘されるまで、自分がそう叩いてる事に気が付かなかったよ」と語っており、自身の手癖がそのまま定着したものと思われる。左手はスティックレギュラーグリップで握っている。ストーンズとしてデビューしてからしばらくの間は、周りの勧めもあってマッチドグリップを使って叩いていたが、どうしても馴染めず1967年頃からレギュラーグリップに戻した。


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