1963年、彼は選任されて南ベトナムに潜入し、ベトコンの軍事部門・南ベトナム解放軍
(ベトナム語版)司令官(1963年-1967年、1973年-1975年)、南ベトナム解放軍副司令官(1968年-1972年)、南ベトナム解放軍軍事委員会副書記を務めた。1973年のパリ協定後は、サイゴンの4者合同軍事委員会において南ベトナム共和国臨時革命政府軍事代表団長を務めた。1974年4月、上将に昇格[7]。
ベトナム戦争末期の1975年4月8日、彼はホーチミン作戦指揮部副司令官に任命され[8]、サイゴン総攻撃を前線指揮した。1975年4月30日のサイゴン陥落直後、サイゴン=ジャディン地区軍事管理委員会議長に任命され、サイゴンの軍政を担当した[9]。 南北ベトナム統一後も南部にとどまり、1976からはホーチミン市(旧サイゴン市)周辺を管轄する第7軍区司令官兼政治委員を務めた。1976年のベトナム共産党第4回党大会において党中央委員に選出[10]。同年、第6期国会議員に選ばれる。隣国カンボジアのポル・ポト政権による越境攻撃に際し、独断で報復攻撃を準備したことを中央に咎められて失脚し、1978年に国防次官に棚上げされた[11]。1981年、国会議員を退任。1982年、第5回党大会において党中央委員から外され、同年に国防次官も解任された。 引退の後、彼は回想録を書くこと集中し、また多くの社会活動に参加した。1982年、彼は著書『30年戦争の終結』を出版し、その本の中で彼は、テト攻勢における総攻撃に際し、自軍の能力を過大評価し、アメリカ軍及び旧南ベトナム軍の能力を過小評価し、多くの共産党指導者が主観的判断を下したと記している。本は非正統的とみなされた観点ゆえに発禁処分となり回収された。 1980年代後半には南部における非官製組織「旧抗戦クラブ」の上級顧問として参加し、共産党への批判を強めた。しかし、1990年3月に官製組織「ベトナム退役軍人会
戦争終結後
1996年4月20日、ホーチミン市において死去した。 彼は一軍人としてのみならず、執筆家として数冊の本を書いている。 ホーチミン勲章
著書
Nh?ng ch?ng ???ng l?ch s? c?a "B2-thanh ??ng", t?p 5, K?t thuc cu?c chi?n tranh 30 n?m, 1982(『鋼鉄のB2戦区の歩み・第5巻・30年戦争の終結』)
Nh?ng ch?ng ???ng l?ch s? c?a "B2-thanh ??ng", t?p 1, hoa binh hay chi?n tranh, 1992(『鋼鉄のB2戦区の歩み・第1巻・平和か戦争か』)
G?i ng??i ?ang s?ng, 1996
Mua thu l?ch s?, 1996
C?m nh?n v? xuan M?u Than 1968, 1998
顕彰
また、ホーチミン市7区フーミーフン都市区(ベトナム語版)の通りの一つには、彼の名前が冠されている。 南ベトナム軍法委員会議長を務めたレ・ディン・チ
家庭
脚注^ ⇒ベトナム民主共和国主席令19号 (ベトナム語)
^ ⇒ベトナム民主共和国主席令232号 (ベトナム語)
^ ⇒ベトナム民主共和国主席令061号 (ベトナム語)
^ ⇒ベトナム民主共和国主席令036号 (ベトナム語)
^ ⇒第3期党中央執行委員会(1960?1976年) Archived 2013年1月30日, at the Wayback Machine. (ベトナム語)
^ 職務配置問題に関する1961年1月23日の第3回中央執行委員会会議決議第6号
^ ⇒http://vmhm.org.vn/showid.php?id=147
^ ズン(1976年)、197-198ページ
^ ⇒木村(1997年)、48-49ページ
^ ⇒第4期党中央執行委員会(1976?1982年) (ベトナム語)
^ チャンダ(1999年)、328-330
^ 今井(2007年)、150-151ページ
^ 村野(1990年)、235ページ
^ ⇒ベトナム退役軍人会第1回全国代表大会(2009年12月9日) (ベトナム語)
参考文献
⇒Chuy?n gia ?inh c?a c? Th??ng t??ng Tr?n V?n Tra (ベトナム語)
村野勉「 ⇒経済改革で前進,政治は引締めへ ? 1989年のベトナム」『アジア動向年報』アジア動向年報、1990年
木村哲三郎『 ⇒ベトナム ― 党官僚国家の新たな挑戦』アジア経済研究所、1996年
ナヤン・チャンダ 『ブラザー・エネミー ― サイゴン陥落後のインドシナ』めこん、1999年
福田忠弘 「ベトナム共産党による戦史評価の変化 ― チャン・ヴァン・チャー著作再発行の意義」『社学研論集』、早稲田大学大学院社会科学研究科、第8号、2006年
今井昭夫 「現代ベトナムにおける「退役軍人」と「退役軍人会」 ? ベトナム北部ナムディン省ハイハウ県ハイソン社の事例 ?」『東京外国語大学論集』 73号、2007年
外部リンク
⇒VIETNAM: HISTORY OF THE BULWARK B2 THEATER, VOL 5: CONCLUDING THE 30-YEARS OF WAR(第5巻 K?t thuc cu?c chi?n tranh 30 n?m の英訳)
⇒戦争の最終段階 (ベトナム語)
⇒私は総司令官ヴォー・グエン・ザップに音楽を教えた (ベトナム語)
⇒チャン・ヴァン・チャ上将 - 国防次官; 南ベトナム解放軍司令官。(ベトナム軍事歴史博物館) (ベトナム語)
先代
ホアン・ヴァン・タイ南ベトナム解放軍司令官
1973年 - 1975年次代
(ベトナム人民軍に編入)
先代
チャン・ヴァン・クアン(ベトナム語版)南ベトナム解放軍司令官