「ちゃんばら芝居」と呼ばれ愛された「剣劇」の新国劇は、『月形半平太』と『国定忠治』という人気演目を持ち、1920年代(大正末期 - 昭和初年)以降隆盛を極め、多く映画化もされた。第二次世界大戦の終結後には、剣劇映画が連合国軍最高司令官総司令部により上映禁止とされた時期もあった[6]が、解禁後は緒形拳らのスターを生みつつ1987年(昭和62年)に解散した。1930年頃には女性を主役とした「女剣劇」が登場し、初期には大江美智子、不二洋子、伏見澄子らが、戦後も中野弘子、浅香光代らが活躍しブームとなった[7]。
「ちゃんばら映画」と呼ばれ愛された「剣戟映画」は、同じく1920年代以降、牧野省三監督の『実録忠臣蔵』や新国劇の映画化で、サイレント映画の時代に隆盛を極めた。トーキーの時代を迎えた1930年代後半を過ぎてから発足し、サイレント映画の剣戟映画を作り続けた極東映画、全勝キネマが量産した[8]。第二次世界大戦終結後にGHQ下の初期にはチャンバラ映画が禁止されたが、後に東映京都撮影所が中心となって明るく華やかな「剣戟映画」を製作し、日本の興行界においてはハリウッドの西部劇と対を成した。
1950年代に量産されたプログラムピクチャーとしての「ちゃんばら映画」は、1960年(昭和35年)の映画産業の斜陽化に前後して、任侠映画にとって代わられた。同年、児童向けのテレビ映画『白馬童子』の放映が始まるが、これもやがて現代劇のSFヒーロー(変身もの、「ウルトラシリーズ」など)にとって代わられた。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2009年10月) ウィキペディアはオンライン百科事典であって、個人的なエッセイを発表する場ではありません。改善
遊戯
田沼武能撮影「深川木場の丹下左膳」(1956年)
「チャンバラ」という語は、時代劇映画などの剣戟シーンを真似て行う子供の遊びをも指すようになった。この遊びでは、多くの場合は、刀(日本刀)を模した木切れや木刀、新聞紙を丸めたものなどを手に持って、複数の子供で打ち合う。日本では古くは普遍的に見られた遊びで、当時の劇俳優等になりきる「ごっこ遊び」の延長でもあった。現在では時代劇の人気が衰え、乱暴な遊びがあまり好まれなくなったためにめったに見かけられないが、時代劇映画が流行した1960年代頃までは、男の子が最も熱狂する遊戯の1つであった。
その特徴は、人数さえ集まれば、これといった道具やややこしいルールがなくとも遊べる簡単さにあり、子供の遊び道具が豊富ではなかった時代にチャンバラがしきりと行われたのはここに理由があるといっていいだろう。今日普遍的に見られるテレビゲームなどは無かった時代の話ではあるが、子供達は高価な玩具を与えられる事は少なく、もっぱら身の回りの物を遊び道具としていた時代の話である。子供達は物が足りなくても空想や想像力で補っていた。
現在では、時代劇の子供への人気は決して高くは無いが、アニメの巨大ロボットや特撮ヒーロー、あるいはファンタジー文学作品やこれを題材とするコンピュータゲーム(コンピュータRPGなど)に、刀、またはそれに類する道具を使って戦うものも多い。振り回して他人を叩いても怪我をしないような、安全に遊べる玩具は枚挙に暇が無く、当人らにチャンバラをしているという意識があるかは別にしても、空気を入れて膨らますビニール製などの棒状の玩具を与えられた(ないし自分で購入した)児童が、他人を突っついたり互いに叩き合ったり剣戟を真似たりなどという遊びに興じる姿は、2000年代の現代でも見受けられるところである。