チカマウガの戦い
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午前10時15分までに、予備隊として置かれていたネグリーの師団の一部が北に押しだし、その攻撃を撃退した。南軍の次の攻撃はパトリック・クリバーン少将によるものだったが、ケリー農園の胸壁からの銃火で止められた。ブラッグは北軍左翼への攻撃が失敗することを心配し、全線にわたる攻撃を命じ、側面攻撃から正面攻撃に戦術を変えた。午前11時、アレクサンダー・P・スチュアート少将とウォーカーによる攻撃が撃退された。

トーマスが援軍を要求し、ローズクランズはその側面に対する初期攻撃に対応して部隊を動かし始めた。午前11時頃、T・J・ウッド将軍は、トーマス隊の支援を命じられたジョン・ミルトン・ブラナン准将の師団との入れ替わりを命じられた。しかし、ブラナンはスチュアート隊に攻撃された後でこの命令に従わなかった。その命令は書き方がまずく、ウッドにはレイノルズ隊に接近して支援するように告げられていた。ウッド隊はレイノルズ隊に近づけなかったが、その兵士を支援できる陣地には移動させた。このために隙間が生じてしまい、ロングストリートの翼全軍が攻撃した時に、軍団長マクックがこれを埋めようとした。ロングストリート軍はこの隙間に付け込むことができ、北軍が動いたときにその側面を衝いた。ロングストリートは意図しなかったものではあったが急襲を成功させ、この戦争での賞賛に値する評判を勝ち取った。

隙間を空けられた北軍はローズクランズと共に撤退を始め、マクックとクリッテンデンの軍団がそれに続いた。午後1時までにトーマスは戦場に残された唯一の部隊となった。ローズクランズからは、チャタヌーガの方向にある数マイル北のロスビルまで撤退するように伝言を受けた。しかし、戦場の北のマカフィー教会付近にいた北軍予備軍団の指揮官ゴードン・グランジャー少将は、南の砲声を聞いて独自の判断でジェイムズ・スティードマン准将をトーマス隊の支援に送った。スティードマンは午後2時半頃に到着し、ロングストリートがトーマス隊の右翼を包み込もうとしているときに間に合った。午後4時頃、ロングストリートは最後の攻撃を試みたが強固な北軍の守備を破れなかった。同時にトーマスはチーザムからの左翼への再開された攻撃も撃退した。
戦闘の後この戦いに参戦したフロリダ州兵士に捧げられた記念碑

トーマス隊はその夜ロスビルまで撤退した。その日の英雄的な守りで「チカマウガの岩」という渾名を貰った。その部隊が果敢に戦ったのは事実だが、その決断力が北軍を大惨事から救ったと認識されている。ブラッグは大きな損失を蒙っていたことと、兵站の問題もあったために、北軍の追撃ができなかった。

9月21日、ローズクランズ軍はチャタヌーガ市内に撤退し、南軍はそれを取り囲む高地を占領して北軍を包囲した。ローズクランズはこの包囲を破れず、10月19日にカンバーランド軍指揮官から外された。ブラッグ軍の包囲を破ったのはユリシーズ・グラント少将とウィリアム・シャーマン少将の救援軍であり、11月の第三次チャタヌーガの戦いだった。

南軍はその勝利で北軍の進行を止めたが、チカマウガの戦いは損失の大きいものだった。両軍で34,624名の損失が出たとされている(北軍16,170名、南軍18,454名)。
脚注^NPS Archived 2006年1月11日, at the Wayback Machine.

関連項目

南北戦争

西部戦線 (南北戦争)

参考文献

Kennedy, Frances H., Ed., The Civil War Battlefield Guide, 2nd ed., Houghton Mifflin Co., 1998,
ISBN 0-395-74012-6.

National Park Service battle description

外部リンク

Battle of Chickamauga

Short story named "Chickamauga" and written by Ambrose Bierce relating the battle

Legends of Tennessee

The Battle of Chickamauga

The Battle of Chickamauga by Rick Byrd

Animated History of The Battle of Chickamauga

West Point Atlas map of the battle

The Battle of Chickamauga: An Alabama Infantry Regiment's Perspective

National Park Service Chickamauga and Chattanooga National Military Park










南北戦争

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