独裁者バティスタは、最後に残った都市サンタ・クララに政府軍を集結させた。そこを落とせば首都ハバナは目の前だ。ゲバラは援軍を待たずに市内に進軍し、ラジオで市民に共闘を呼び掛けた。政府軍は市民の住む町への空爆を強行し、激戦が続く中、軍や警察からは降伏する者が出始めた。
サンタ・クララの司令官は逃亡を図り、ついにバティスタが国外へ亡命した。1959年1月2日に、ゲバラは首都ハバナに向け最後の進軍を開始した。25ヶ月に及ぶ戦いには勝利したが、革命はこれからだった。政府軍を完全に制圧し、クーデターの芽を潰さなければならない。そしてゲバラの夢は、中南米に革命を広げることなのだった。
『チェ 39歳 別れの手紙』
1965年のキューバ。共産党の中央委員会にゲバラの姿はなかった。委員長のカストロは市民に対して、彼宛のゲバラの手紙を公開した。ゲバラは党の幹部の地位を捨て、貧しい人々が搾取され続ける国々での国際的な革命闘争を目指して、まずアフリカへ渡っていたのだ。
一年後の1966年11月、変装したゲバラは、キューバの妻子に別れを告げて[12]、南米中央部のボリビアに入国した。キューバ人のゲリラ仲間や現地の同志と合流し、辺鄙な土地に新兵の訓練キャンプを設営するゲバラ。だが、ボリビアの共産党は武装闘争に消極的だった。
年が明けて1967年、キューバのカストロはゲバラの消息を探り、支援物資を届ける努力を続けていた。ラモンという偽名で戦闘を続けるゲバラは、貧しい農民の子を治療し、親たちに協力を求めた。だが、農民たちは外国人の多いゲリラ部隊を信用しなかった。ボリビア軍はゲリラが農民を奴隷にすると言い触らしていたのだ。
アメリカ寄りのボリビア政府は、カストロがボリビアでも共産革命を起こすのではと案じていた。官僚たちはゲバラがまだアフリカのコンゴにいると思っていたが、アメリカ軍はボリビアの特殊部隊の訓練を買って出た。彼らは、人気のある「英雄ゲバラ」がボリビア人に支持されることを恐れたのだ。
ゲバラは、自分とキューバ人ゲリラの存在を秘密にしていた。だが、捕虜から情報が漏れて、ゲバラの存在は政府軍の知るところとなった。シグロ・ベインテ炭鉱でストライキが計画されると、政府はゲリラ部隊と鉱夫たちの共闘を防ぐために、鉱夫たちを虐殺した。
ボリビア人民解放軍と名乗って戦闘を続けるゲバラ達。だが、新兵が補充できず、戦闘のたびに兵士の数は減って行った。ゲバラがボリビアに入って280日目には、ゲバラ自身の体調も悪化していた。喘息を患っているゲバラは、薬を切らしてしまったのだ。合流するはずだった別働部隊も、農民の裏切りで政府軍に待ち伏せされ、全滅した。
フェルナンドという偽名で部隊を率いるゲバラを、ボリビア政府軍が追い詰めて行った。ゲバラがボリビアに入って340日目、ユロ渓谷の戦闘で、ついにゲバラは捕虜となった。オルトゥーニョ大統領は、ゲバラを連行することなく現地での銃殺を命じ、刑は翌日に執行された。1967年10月9日のことだった。 役名俳優日本語吹替 カンヌでの上映後、ソダーバーグはそれぞれのフィルムから5分から7分のシーンをカットした[14]。その後、第46回ニューヨーク映画祭[15]、第33回トロント国際映画祭でも15分の休憩を挟んで上映された[16]。2008年11月1日、アメリカン・フィルム・インスティチュートのフェスティバルの一環としてグローマンズ・チャイニーズ・シアターで行われたロサンゼルス・プレミアでは、チケットが完売した[17]。
キャスト
チェ・ゲバラベニチオ・デル・トロ小山力也
ポンボ(ハリー・ヴィジェガス)
リサ・ハワード(英語版)ジュリア・オーモンド
タニア(タマラ・ブンケ)(英語版)フランカ・ポテンテ林真里花
ベニグノ(ダリエル・アラルコン・ラミレス)アルマンド・リエスコ
インティ(ギド・ペレド・レイゲ)クリスティアン・メルカド
アレイダ・マルチ(英語版)カタリーナ・サンディノ・モレノ冠野智美
フィデル・カストロデミアン・ビチル大塚芳忠
ラウル・カストロロドリゴ・サントロ福田賢二
カミロ・シエンフェゴスサンティアゴ・カブレラ檀臣幸
シロ・レドンドエドガー・ラミレス
イスラエル・パルドアルフレド・デ・ケサダ
フアン・アルメイダ・ボスケロベルト・サンタナ
ロヘリオ・アセベドヴィクター・ラスク
マリオ・モンヘルー・ダイアモンド・フィリップス木下浩之
ウルバノ(レオナルド・タマヨ・ヌニャス)カリ・メンデス
レネ・バリエントスジョアキム・デ・アルメイダ土師孝也
シュワルツ神父マット・デイモン[13]
通訳オスカー・アイザック
上映