ロンブローゾが行った研究のうち最も有名なのは、1876年に上梓された『犯罪人(L'uomo delinquente、ホモ・デリンクエンス)』である。全3巻、約1,900ページにも及ぶこの大著において、彼は犯罪に及ぼす遺伝的要素の影響を指摘した。これは精神医学の概念であったベネディクト・モレルの「変質」(堕落、退化(英語版))概念を犯罪研究に導入したものと言え、フランツ・ヨーゼフ・ガルの骨相学[注釈 2]を直接的に継承しており[注釈 3]、アンドレ・ミシェル・ゲリー(英語版)、アドルフ・ケトレーの犯罪統計学、チャールズ・ダーウィンの進化論の強い影響を受けていた[1][3]。
ロンブローゾはかねてより「天賦の才能」についての研究を行い、『天才と狂気(Genio e follia、1864年)』などの著作を世に問うていた。ブリガンテ(イタリア語版)(「山賊」「匪賊」と和訳される)のヴィレラの検視を行った際に、頭蓋骨にある特徴が下等な脊椎動物のそれに類似していることを「発見」し、「突然、燃えさかる空の下に照らし出された大地のように、犯罪者の性質の問題」の解決が閃き、「彼らが原始的な人類や下等な動物の残忍な本性をその身体の内に再生させた隔世遺伝(atavism)の産物である」という発想を得た[10][11]。ロンブローゾはこの考えを「単なる考えではなく啓示である」であると称している[10]。
骨相学、観相学、人類学、遺伝学、統計学、社会学などの手法を動員し、退化の隔世遺伝を表す身体的特徴(烙印)の目録を作り、人間の身体的・精神的特徴と犯罪との相関性を検証した。彼は処刑された囚人の遺体を解剖、頭蓋骨の大きさや形状を丹念に観察した。解剖された頭蓋骨は383個にのぼり、5907人の体格を調査した[12]。こうした多大な労力を費やした末に、彼は「犯罪者には一定の身体的・精神的特徴(Stigmata)が認められる」との結果に至った。
ロンブローゾは犯罪者の身体的特徴として、次のような18項目を挙げている。
小さな脳
厚い頭蓋骨
大きな顎、顎の前方への突出
低い額
高い頬骨
平らな鼻、または上向きの鼻
取っ手のような形をした耳
鷹のような鼻
肉付きのよい唇
異常な歯並び
厳しい目つき、泳ぐ目線
毛深さ
ひげが少ない、またはない
下肢に比べて腕が長い[13][7]
また精神的特徴として道徳観念の欠如、残忍性、衝動性、怠惰、低い知能、痛覚の鈍麻、(ホモ・デリンクエンス特有の心理の表象としての)刺青、強い自己顕示欲等を列挙した[13]。先史時代の人、未開人、動物との比較から、これらの特徴は人類よりもむしろ類人猿において多くみられるものであり、人類学的にみれば、原始人の遺伝的特徴が隔世遺伝によって再現した原始的(先祖返り)又は退行的な起源を持つ複数の身体的異常の発現であり、犯罪者はこうした退行的隔世遺伝が生じた、人類の下等な段階の甦り、人類の一変種「ホモ・デリンクエンス(犯罪人)」という説を立てた[14][15][11]。