チェンバロ
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ヴァージナル(: virginal [virginals], : Virginal)は小型の撥弦鍵盤楽器で、弦が楽器の長辺および鍵盤と平行に張られているものを指す[5] 。 特に長方形の楽器を指すこともある。一般に弦は一組のみで、手前に低音、奥に高音の弦が張られる。そのため鍵の全長は低音で短く、高音で長い。

ヴァージナルという語は1460年頃のプラハのパウルス・パウリリヌスによる記述に最初に見られる。語源に関しては様々な説があるが確かなことはわからない。

ヴァージナルという語の指し示す範囲はしばしば曖昧である。エリザベス朝の頃のイギリスでは virginal という語は撥弦鍵盤楽器全般を指していた。イタリアの多角形のヴァージナルはスピネットと呼ぶことが多い。イタリア語には本来ヴァージナルという語は存在せず、spinetta や arpicordo と呼ばれていた。

イタリアのヴァージナル(あるいはスピネット)は、長方形、あるいは多角形のケースで、突き出た形の鍵盤を持つものが多い。

フランドルのヴァージナルは、鍵盤が本体の左側に位置するスピネット型と、右側に位置するミュゼラー型(muselar, muselaar)に分けられる。どちらも一般に長方形で鍵盤が窪んだ場所に位置し本体から突き出ない。

イタリアのヴァージナルやフランドルのスピネット型のヴァージナルでは弦を弾く位置が通常のチェンバロに近いが、ミュゼラーでは全域で弦の中央に近い所で弾かれる。このことにより、基音が強く倍音の弱い、独特の太くて暖かい音質を持つ。しばしば倍音を補うためにアルピコルドゥムという金属片によってざわざわした音を付加する装置がテノールからバスの音域に付けられる。ミュゼラーでは中低音域のアクションは楽器の響板の真ん中に置かれるため、この音域を弾くときの打鍵音が増幅される問題がある。加えて、弦の中央付近で弾くために、まだ響いている弦の動きがプレクトラムが再度弦に触れることを難しくしてしまい、低音部の連打が難しい。このようなことから、ミュゼラーは複雑な左手のパートを持たない、旋律と和声の組合わせのような曲に向いているとされる。ミュゼラーは16、17世紀には人気があったが、18世紀にはあまり使われなくなった。18世紀のある評論家は、ミュゼラーは「低音部では若い豚のようにブーブー言う」と評している (Van Blankenberg, 1739)。

フランドルでは大小2台のヴァージナルを組み合わせたダブル・ヴァージナルも作られた。
スピネットフランスのミシェル・リシャールのスピネット(1675年頃)詳細は「スピネット」を参照

スピネット(: spinet, : epinette, : Spinett, : spinetta, 西: espineta)は小型の撥弦鍵盤楽器で、弦が鍵盤に対して斜めに張られているものを指す[6] 。一般に弦は一組のみで鍵盤も一段のみである。典型的にはおおよそ三角形の形状で右側板が湾曲している「ベントサイド・スピネット」を指す。ベントサイド・スピネットは特に18世紀のイギリスでヴァージナルに代わる家庭用鍵盤楽器として普及した。

ヴァージナルと同じくスピネットという語の指し示す範囲もしばしば曖昧である。イタリアでは小型の撥弦鍵盤楽器全般を指して spinetta という語が使われた。フランスでは epinette という語はイギリスにおける virginal と同様に撥弦鍵盤楽器全般に対して用いられた。
クラヴィツィテリウム

クラヴィツィテリウム (clavicytherium) は響板と弦が垂直に、奏者の顔の前にくるように立てられた楽器である。同様の省スペース原理は、後のアップライトピアノでも用いられることとなった[7]。興味深いことに、現存最古のチェンバロはクラヴィツィテリウムである。クラヴィツィテリウムはチェンバロの主流とはならなかったが、その後も散発的に製作され続けており、18世紀にはフランドルのアルベルトゥス・ドゥランによって優れたクラヴィツィテリウムが製作されている[8]
オッタヴィーノ

4フィート弦のみを持つ、1オクターヴ高いピッチの小型の楽器もあり、オッタヴィーノ (ottavino) と呼ばれる。
クラヴィオルガヌムニュルンベルクのロレンツ・ハウスライプのクラヴィオルガヌム(1590年頃)

クラヴィオルガヌム (claviorganum) はチェンバロやヴァージナルをオルガンと組み合わせ、両方の音を同時に鳴らすことのできる複合楽器であり、ヨーロッパ各地で製作された。
歴史詳細は「チェンバロの歴史」を参照現存する最古のチェンバロ。1480年頃作られた作者不明のクラヴィツィテリウム。

1397年のパドヴァの法律家による、ヘルマン・ポールという人物がクラヴィチェンバルムと呼ばれる楽器を発明したと主張している、という記述がチェンバロについての最古の記述である。1425年のドイツミンデンの大聖堂の祭壇の彫刻にはチェンバロとこれを奏する人が確認できる。1440年頃にはアンリ・アルノー・ド・ズヴォレがチェンバロとその発音機構の詳細な図面を残している。現存する最古のチェンバロは、1480年頃おそらくドイツのウルムで作られたクラヴィツィテリウムで、ロンドン王立音楽大学に保存されている。

製作者名と製作年代の分かる最古のチェンバロは、1515年から1516年にフィレンツェのヴィンチェンティウスによって作られたものであり、次に1521年のボローニャのヒエロニムスによるものが続く。イタリアのチェンバロの側板は薄く、ケースの外形は細長い。イタリアでは多少の変化がありながらも、18世紀末まで独自の様式のチェンバロ製作の伝統が維持された。1700年頃イタリアのバルトロメオ・クリストフォリピアノを発明したが、ピアノは当時のイタリアでは大きな影響を与えることがなかった。

アルプスから北では1537年にライプツィヒのミュラーによる作例が存在する。薄い側板のケースはイタリアの楽器と同様であるが、ずんぐりとした外形や、ボックス・スライドではない2枚構成のジャックガイドはイタリアの楽器に見られない特徴である。このような北ヨーロッパの初期のチェンバロは、かつてはイタリアの楽器から派生したものと考えられたが、現在はむしろイタリアのチェンバロ製作の伝統が北ヨーロッパに起源を持つ可能性が高いと考えられている[1]

フランドルでは16世紀末から17世紀前半にかけてアントウェルペンのルッカース一族がチェンバロの製作において成功を収めた。ルッカースのチェンバロはイタリアのものより厚い側板が用いられている。ルッカースの楽器は高く評価され、後にしばしば改造を施されながらも各地で使われ続けた。そして他の地域のチェンバロ製作にも大きな影響を与えた。

ルッカースのチェンバロが各地に輸出される一方で、北ヨーロッパの他の地域ではルッカース以前からの北ヨーロッパの在来の様式によるチェンバロが製作されていたが、その後、18世紀のフランスでは、ルッカースに倣ったチェンバロが作られるようになり、18世紀フランス様式のチェンバロはフランドル様式の構造を受け継ぎながら、より広い音域と優美な音色を持つことになった。有名な製作者としてはブランシェ一族やパスカル・タスカンなどが挙げられる。18世紀のイギリスでもカークマンやシュディの工房においてルッカースの影響を受けたチェンバロが製作された。カークマンとシュディのチェンバロの音はフランスの楽器に比べ繊細さに欠けるが華麗で力強い。

チェンバロは18世紀後半から、より強弱表現に長けるピアノに徐々に人気を奪われ、19世紀中は殆ど演奏されることがなくなり、楽器製作の伝統も途絶えた。

19世紀末から古楽演奏のためにチェンバロが復興され、当時のピアノ製作の技術を応用してチェンバロの改良が試みられた。このような楽器は現在ではモダン・チェンバロと呼ばれ、伝統的な製法のチェンバロとは区別される。

1860年代半ばにフランスのピアニスト、ルイ・ディエメがリサイタルにチェンバロの演奏を取り入れた。彼は1769年製のパスカル・タスカンのチェンバロを主に用いた。1882年にこの楽器は修復され、その後パリエラール社が借り受けて研究した。プレイエル社もタスカンの楽器を研究し、両社とも1889年のパリ万国博覧会にチェンバロを出品した。

ドイツでは通称「バッハ・チェンバロ」と呼ばれる楽器[9] がチェンバロ復興の参考にされた。この楽器の、下鍵盤に16′と8′、上鍵盤に8′と4′という歴史的なチェンバロでは特殊なレジスター構成が理想的なものとされ、モダン・チェンバロに大きな影響を与えた。 1899年にベルリンのヴィルヘルム・ヒールによってこの楽器に基づいたチェンバロが製作されている。

1912年にワンダ・ランドフスカの構想によりプレイエル社が近代的なコンサートホールでの演奏に向けた新型のチェンバロを開発した[10]。この楽器は、鉄製のフレームを持ち、太い弦が高い張力で張られ、響板の補強法はグランド・ピアノとほぼ同じで、ケースも頑丈に作られていた。下鍵盤に16′、8′、4′、上鍵盤に8′の構成で、レジスターは7本のペダルで操作された。プレイエル社の楽器はドイツのチェンバロ製作にも影響を及ぼし、幾つかのメーカーはプレイエル型のレジスター構成や鉄製フレームを採用した。

1930年ごろからドイツのチェンバロ製作は再び「バッハ」型のレジスター構成に戻り、鉄製フレームは用いられなくなったが、依然としてそれは歴史的な楽器とは大きく異なるものであった。ノイペルト、ヴィトマイヤー、シュペアハーケ、アンマー、ザスマンなどのメーカーにより製造されたモダン・チェンバロ[11]は世界各地に輸出され、演奏家や聴衆の一般的なチェンバロのイメージとなった

一方で20世紀半ば頃からフランク・ハバード、ウィリアム・ダウド、マルティン・スコヴロネックなどの製作家により歴史的なチェンバロの研究がなされ、伝統的製法の再現が試みられた。彼らの作る楽器は高い人気を博し、他の多くの製作家たちも歴史考証的な楽器の製作に転じた。現在では歴史考証的な楽器が主流となり、ルネサンス・バロック期の音楽を演奏する際に、モダン・チェンバロを用いることは殆ど無い。一方、モダン・チェンバロを前提とした音楽作品、例えば、フランシス・プーランクの「クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール」などはモダン・チェンバロで演奏するのが妥当とされる。
様式
イタリア

イタリアのチェンバロは、底板を基礎として支持材を組み、約4?6mm程度の薄い側板を貼り合わせた構造をとっている。ケースの素材には主にイトスギ材が用いられた。一般にこの薄手の本体は、より頑丈なアウターケースに収納された。後に単一の厚手のケースを持つ楽器も現れたが、外見上は従来通りアウターケースの中にインナーケースが納められているかのように装飾がほどこされた。これを「フォルス・インナー・アウター」(偽インナー・アウター)と呼ぶ[12]


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