チェチェン・イチケリア共和国(チェチェン・イチケリアきょうわこく、チェチェン語: Нохчийн Пачхьалкх Нохчийчоь, チェチェン語ラテン翻字: Noxciyn Pac?alq Noxciyco、ロシア語: Чеченская Республика Ичкерия, ロシア語ラテン翻字: Chechenskaya Respublika Ichkeriya、英語: Chechen Republic of Ichkeria)は、チェチェン分離独立派による国際的に未承認の国家または武装勢力。ロシアに対して二度のチェチェン紛争で武力抵抗を行ない、2022年からのロシア連邦軍によるウクライナ侵攻ではウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権側で戦っている[4]。
イチケリアとは「山岳」「高地」の意味であり、国名を意訳すればチェチェン山岳共和国となる。 ロシア連邦構成主体の一つであるチェチェン共和国を領土と宣言し、自称による領土は北西をスタヴロポリ地方、北東から東をダゲスタン共和国、南をジョージア、西をイングーシ共和国と北オセチア共和国に接し、カフカース山脈の北に位置するとしている。 ソビエト連邦の崩壊に伴い1991年、初代大統領ジョハル・ドゥダエフのソ連から独立と建国宣言により建国された。独立当初の国名はチェチェン共和国(Чече?нская Респу?блика)だったが、1994年1月16日にチェチェン・イチケリア(山岳、高地の意味)共和国へ変更された[1]。チェチェンの独立を阻止しようとするロシア連邦との間で1994年に勃発したのが第一次チェチェン紛争である。1996年のハサヴユルト停戦協定で一時的に独立状態を保ったが、1999年に再侵攻を受け、2000年に首都のジョハルを失った(第二次チェチェン紛争)。チェチェンロシア連邦残留派勢力(カディロフ派、ヤマダエフ派など)によるチェチェン共和国が成立すると、それ以降は政府としての実体を維持できなくなり、武装勢力化した。チェチェン・イチケリア共和国大統領を名乗っていた歴代指導者5名全員がロシア当局により殺害されている。 2007年に第5代大統領のドク・ウマロフが北カフカースにイスラム国家の建設を目指してカフカース首長国の建国を宣言し、カフカース首長国と強硬派の勢力に分裂した(カフカース首長国は2016年に事実上壊滅し消滅)。しかし、チェチェン独立派の中には穏健な独立を目指すアフメド・ザカエフ
概要
2022年10月18日、ウクライナ最高議会はチェチェン・イチケリア共和国を「ロシアの一時占領下にある」として独立を承認した[5][6](ウクライナのチェチェン・イチケリア共和国の承認(英語版))。 1991年の独立宣言後、チェチェンの独立を承認した国家・政府は長らくなかったが、2000年にグロズヌイの陥落が決定的になると、1月16日にアフガニスタンのタリバン政権(アフガニスタン・イスラム首長国)が初めて独立を承認[7]。アフガニスタンの首都カーブルに国外で初めての大使館が設置された。この大使館は亡命政府として機能したが、2001年にタリバン政権が崩壊すると大使館も閉鎖された。
外交関係