チェス
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日本においては、同じチャトランガ系統のゲームである将棋の方が遥かに競技人口が多く[5]、両者は基本的なルールが似ていることから、チェスは西洋将棋または国際将棋と訳されることがある[4][6][7][8]。一方で、チェスと将棋はチャトランガが異なるルートで東西に伝播しつつ独自の変遷を遂げたものであるとされ[4][7]、盤の広さや駒の性能、取った駒の扱いに関するルールの違いなどから、両者は似て非なるゲームであるとも評される[9]。競技としてのチェスは、頭脳によるスポーツの代表格でもある。遊戯としての側面のほかに、ARISF加盟IOC承認スポーツであるなど、スポーツとしての側面も持つ。

ゲーム理論では、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される[10]
用具

チェスの駒とボード

チェスの
キング
クイーン
ルーク
ビショップ
ナイト
ポーン

最低限必要な物

チェスボード:縦横8マスずつに区切られた、64マスの市松模様の正方形の盤。「チェス盤」とも呼ばれている。

チェスピース:6種類の動き方が異なるの総称。全体の駒の数は、白黒あわせて32個。公式戦では、イギリスジャック・オブ・ロンドンが販売したことで定着したスタントンチェスセットと呼ばれる駒が使用される。各人、キングx1、クイーンx1、ビショップx2、ナイトx2、ルークx2、ポーンx8、あわせて16個をもつ。敵味方の識別はその色で行う(将棋のように駒の向きではない。また、チェスの駒の向きは関係ない。例のナイトの駒は左向きであるが特に意味は無い。)。

公式戦などで必要になる物

チェス・クロック(対局時計):主に公式戦で指す場合に使用する。

スコアシート(棋譜用紙):公式戦では、互いのプレイヤーが駒の動きを一手一手記録する必要がある。

チェスの遊び方(概略)駒の初期配置

abcdefgh
88
77
66
55
44
33
22
11
abcdefgh
詳細は「
チェスのルール」を参照

ゲームは2人のプレイヤーにより、チェスボードの上で行われる。

白が先手、黒が後手となる。

双方のプレイヤーは、交互に盤上にある自分の駒を1回ずつ動かす。パスをすることはできない。

味方の駒の動ける範囲に敵の駒があれば、それを取ることができる。

ただしポーンだけは、敵の駒を取れる範囲が通常の移動範囲と異なる。


敵の駒を取った駒は、取られた駒のあったマスへ移動する。

これはポーンも同じだが、ポーン同士によるアンパッサンは例外である。

取られた駒は盤上から取りのぞき、以降そのゲームが終わるまで使用しない。


ナイトと、キャスリング時のキング・ルークを除き、駒は他の駒を飛び越して移動することはできない。

キングは、敵の駒が利いている(直後の手で取られるような)場所には移動することができない。

相手のキングに、自分の駒を利かせて取ろうとする手を「チェック」と呼ぶ。

この状態では、相手側は次の手ですぐにキングの安全を確保しなければならない。

キングが次の手で絶対に逃げられないように追い詰めたチェックのことを「チェックメイト」と呼び、この手を指したプレイヤーの勝ちになる。


以下の場合はすべて引き分けとなる。

ルール上動かせる駒がなくなったがチェックにはなっていない状態「ステイルメイト」になった場合

どちらもチェックメイトができなくなるほどにコマを失った場合

永久王手など、同一の局面が3回生じる千日手が指摘された場合


チェスの歴史(概略)テンプル騎士団詳細は「チェスの歴史」を参照

チェスの起源は紀元前、古代インドのチャトランガだと言われている[4]。ただしチャトランガがどのようなゲームであったかについては論争がある[11]。詳細は「チャトランガ」を参照。

ペルシアに伝えられてシャトランジと名を変え、さらにヨーロッパに伝わっていった。

8世紀にはロシアに伝えられ、約100年遅れて西ヨーロッパへ伝わる。

15世紀末、ルイス・デ・ルセナによるヨーロッパ最初のチェスの本、「チェスの技術」が出版された。
フィリドール

16世紀、ほぼ現在と同じルールに固定された。「アンパッサン」、「ツークツワンク」、「キャスリング」などの用語がヨーロッパ各地の言語で生まれていることからもわかるように、ヨーロッパ各地でルールが発展していった。

17世紀には、チェスは娯楽として普及。資産家をスポンサーとして競技されるようになる。

1749年フィリドールが『フィリドールの解析』を著し、「ポーンはチェスの魂である」との言葉を残す。

1857年、ポール・モーフィーが、アメリカのチェス大会で優勝。翌年ヨーロッパに渡り、ここでも圧倒的勝利を収めている。

1886年ヴィルヘルム・シュタイニッツがツケルトートを破り、「公式」な世界チャンピオンとなる。

1935年、アレヒンが1937年にタイトルを奪回、1946年に死去するまでチャンピオンの地位にあった。このアレヒン以降は、ソ連-ロシアのプレーヤーがチャンピオンを保持し続ける時代が長かった。

1972年ボビー・フィッシャーが、ボリス・スパスキーを破ってチャンピオンの座に就く。フィッシャーは「米国の英雄」とも呼ばれたが、1975年防衛戦の実施方法を巡ってFIDEと対立。タイトルを剥奪された。

1997年FIDEは国際オリンピック委員会(IOC)の勧告を受け入れ、挑戦者制をトーナメント制に改めた。

2000年、インドのアナンドが優勝。初めてチェス発祥の地にチャンピオンが誕生した。

戦い方

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出典検索?: "チェス" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年2月)


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