山頂から4つの稜線が東西南北にのびる。北稜の先にはグラン・コルニエ
(Grand Cornier、標高3,962 m)があり、東稜との間のグラン・コルニエ氷河(Glacier du Grand Cornier)は山の北東面の頂上近くに及ぶ。他の面の氷河の位置は低く、フランス語で「白い歯」を意味する山の名ほど白くない。もともとダン・ブランシュはダン・デラン(Dent d'Herens)と呼ばれていたが、地図製作者の経験不足と、地域により山の呼び方が異なっていたため、19世紀半ばまで約7 km南にある現在のダン・デランと混同されていた[3][4]。現在のダン・デランの位置にダン・ブランシュと書かれた古い地図もある。南稜は他に比べると傾斜が緩い。南東面から南稜に沿って南下するシェーンビエル氷河(Schonbielgletscher)はツムット氷河(Zmuttgletscher)に合流し、氷河が解けた水はツムット、ツェルマット、フィスプを通り、ローヌ川に合流する。 初登頂は1862年7月18日、T.S.ケネディ(Thomas Stuart Kennedy)[5]、W.ウィグラム(William Wigram)、C.ウィグラム、ガイドのクロッツ(Jean-Baptiste Croz)とJ.クロニッヒ(J. Kronig)のパーティ[6]。強い風と雪という悪天候の中[7]、南稜と南西面を経由して[8]山頂に到達した。
歴史
ギャラリー
左からマッターホルン(4,478 m)、ダン・ブランシュ(4,357 m)、グラン・コルニエ(3,862 m)、右端はオーバー・ガーベルホルン(4,063 m)(クライン・マッターホルンからの眺め)
ツムット谷とダン・ブランシュ(中央)。谷底にスタッフェルポンプ場(右下)。
脚注^ “Dent Blanche (4,357 a.s.l.)
^ “Alpin peak Dent Blanche (VS) - Evolene”. swisstopo. 2022年2月15日閲覧。
^ “Dent d'Herens 4174 m”. Swiss Alpine Club. 2022年2月19日閲覧。
^ “Dent Blanche”. Zermatt. 2022年2月20日閲覧。
^ 作者不詳 (1895). “OBITUARY. THOMAS STUART KENNEDY 1841-1894.”. Minutes of the Proceedings of the Institution of Civil Engineers 120 (1895): 358-359. https://www.icevirtuallibrary.com/doi/pdf/10.1680/imotp.1895.19805 2022年2月14日閲覧。.
^ Edward Whymper (1902). The Valley of Zermatt and the Matterhorn: A Guide. Murray. p. 152
^ Edward Whymper (1870). Scrambles Amongst the Alps in 1860-'69. Lippincott. p. 116
^ Harold Raeburn (1909). “The Dent Blanshe by the EastRidge (Col de Zinal)”. The Alpine Journal (186): 629.
関連項目
ツェルマット
ツムット
マッターホルン