コメディ劇団「セカンド・シティ・ワークショップ」のトロント支部に在籍、同劇団のシカゴ本部に在籍していたジョン・ベルーシと知り合い、親友となる。1975年からNBCテレビの「サタデー・ナイト・ライブ」(SNL)にオリジナルメンバーとして参加し、『コーンヘッズ』などの名キャラや、スタートレックのドクター レナード・マッコイやジミー・カーター等の著名人の物まねで人気を博す。
ミュージシャンとしてベルーシと共に結成したブルース・ブラザーズでは、弟のエルウッド・ブルース役でバックボーカルとブルース・ハープを担当。SNLへの出演で人気に火が付き、カバーアルバムの大ヒット、映画『ブルース・ブラザース』(1980年)の公開へとつながる。このバンドは、ティーンエイジャーの頃からブルースやR&Bに傾倒し、バンド活動をしていた本人の構想を実現したものである。
1977年の『ダン・アイクロイドのひと目惚れ』で俳優として映画デビュー。ベルーシやエディ・マーフィ、チェビー・チェイスなどアクの強い人とコンビを組むことが多く、存在が地味だが、『ブルースブラザーズ』、『ゴーストバスターズ』、『スパイ・ライク・アス』などの名作コメディ映画の脚本を手懸ける才人としても知られる。
1982年に良き相棒であり親友であったベルーシを失った後はやや精彩を欠いたが、『ゴーストバスターズ』で主人公3人組の1人を演じ、コメディ俳優としての本来の持ち味を発揮。1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのコーラスを担当。
コメディ以外の映画でも活躍し、1989年には『ドライビング Miss デイジー』でジェシカ・タンディの息子役を演じてアカデミー助演男優賞にノミネートされ、俳優としての新境地を拓いた。1991年の『マイ・ガール』ではヒロインの父親役を好演。また、ラジー賞にも数回ノミネートされ、2度の受賞歴がある。
実業家としてはニューヨークのハードロックカフェ、ライブレストランチェーン「ハウス・オブ・ブルース (House of Blues) 」、クリスタルヘッド・ウォッカ (Crystal Head Vodka) などの事業に共同経営者として出資して成功している。また、ベルーシの未亡人ジュディスと共にブルース・ブラザーズ関連のブランド管理会社を設立している。 日本語吹替は主に玄田哲章がつとめている。 公開年邦題
エピソード
右目は緑、左目は茶色という虹彩異色症。
エイクロイドの作品には、彼の趣味や嗜好であるR&Bやバイク、自動車、警察が活かされているが、心霊やUFOなどの超自然現象にも非常に造詣が深く、それは『ゴーストバスターズ』に反映されている。
一時期、キャリー・フィッシャーと婚約していた[5][6]。
『Doctor Detroit』で競演したドナ・ディクソンと1983年に結婚、娘が3人いる。
1981年に『ブルース・ブラザース』のプロモーションでベルーシと共に来日も果たした。その際には、ベルーシと共に吉祥寺のライブハウスも訪れている[7]。1990年代半ばにフジテレビのマスコット・キャラクターとして登場し、「またお会いしましたね」のフレーズで日本のテレビCMにも出演した。
フィルモグラフィ
映画
原題役名備考吹き替え
1977ダン・アイクロイドのひと目惚れ
Love at First Sightロイ
1978モンティ・パイソンの ザ・ラットルズ
The Rutles: All You Need Is Cashブライアンテレビ映画玄田哲章(東京12チャンネル版)