ダンディ坂野
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様々な色のタキシードを着用し(ネタ以外では黄色のタキシードが多い)、粋なジョークを飛ばすのが彼の芸風であるが、そのジョークのほぼ全てがテーマに沿った駄洒落を連発するだけのものである。ジョークを言った後に苦し紛れで言う決め台詞「Get's!!(ゲッツ)」は、一時期若者たちの間で流行した。「面白くないネタを披露して、滑って気まずくなった空気の中で使う」のがゲッツの本来の使い方であるが、人気絶頂期には滑るはずのネタがしばしばウケてしまい、彼を困惑させたという。

初出として、1996年のフジテレビ深夜番組『ウモクビ2』で原点となる「ゲットゥ」(ほぼ同じジェスチャー)というギャグのネタを発声していることが確認されている。また、フジテレビ内で実際に放送された最古の「ゲッツ」発生のネタ番組は、2002年1月28日放送の番組『超VIP』内での、幼稚園児への漫談披露コーナーであったことが確認されている。

基本的には漫談家であり、お人好しな性格でフリートークは得意ではない。

アメリカンスタイルの司会やスタンドアップコメディ小噺だじゃれを絡めたスタイルに至った理由は、レンタルビデオ屋でアルバイトしていた時、エディ・マーフィ出演作品を見たのがきっかけ。名前の『ダンディ』もアメリカンな名前という理由から来ている[1]

ブレイク後は、野球の送りバントの構えで叫ぶ「二岡!」「江藤!」などの新ギャグの開発にも余念がない。しかし、持ちネタのひとつ「ライドオン!」がレイザーラモンHGに流用され、苦汁を舐めている。「サンキュー・ノーベンバー」などのレアなギャグは、着ボイスとして聴くことができる。

「一発屋芸人」と言われているが、実際には他に一発屋で消えていった芸人とは異なり、CMを中心に大活躍しており、2012年のタレントCM起用社数8本はお笑い芸人としては最高本数であった[6]。理由としては「ゲッツ!」の一言がCMの尺にキチンと収まる事と、ポジティブな言葉であり視聴者を不快にさせたり傷付けない事、使いやすい言葉な事、キャラクターが明るい事などが挙げられる。テレビ番組一本に出演するよりもCMの方がはるかにギャラが高いため、安定した生活を送っているという。

外国人プロ野球選手のアレックス・ラミレスは、本塁打を打った際に「ゲッツ!」のポーズを取っている。そのためか、2008年に番組収録で地方の幼稚園に行った際に、幼稚園児を笑わせなくてはいけない場面が来て、「ここは芸人として意地をみせねば」と気負い込んで「ゲッツ!」と言うと、「あっ、ラミレスのまねだ。」と園児に一蹴されてしまったというエピソードがある(島田紳助談)。なお、その番組は 紳助が司会を務める番組であった。同じ収録のエピソードで、ダンディの周りに幼稚園児たちが集まってきたが、この園児たちは ダンディのことを知らなかったため、「カメラマンだ!」とカメラマンに夢中で、ダンディには見向きもしなかった。ラミレスのまね(パクリ)だと思われていることについては半ばあきらめており、後に同じような状況に遭遇した際は、開き直って「パクリじゃない、リスペクトしてるんだ」と言い返している[7]

ドランクドラゴン塚地武雅がやる一発ギャグに、「100%の力でゲッツをする」というネタがある。

頭髪が徐々に薄くなってきている。本人は「ハゲッツ!」などとネタにしていた。これのおかげでアデランスのCMに起用されたという[8]

東京腸捻転などのライブでは、ダンディNEWSなどの1人コントを披露することもある。漫談のイメージが強いためか、暗転直後に客席がざわめいたことがある(DVD『完売地下劇場REVENGE BASEMENT9 奪取 BASEMENT10 混迷』より)。

衣装

坂野の代名詞になっている黄色いスーツは、2003年に出演した
マツモトキヨシのCMで着たのがきっかけ。マツモトキヨシの企業カラーがたまたま黄色だったからである[9]。この時以来、黄色いスーツのサイズは15年以上全く同じで、坂野自身も「『ゲッツ!』の人」というイメージを保つべく、体型を保つ努力や肌のメンテナンスを欠かさないという[8]

「ゲッツ」のポーズを取った時に手足を曲げるとぴったりになるように、着るスーツは袖と裾をわざと長く調整している。

ムーディ勝山とは色違いのタキシードを着用しているため、八代亜紀に「ムーディ」を「ダンディ」と間違えられた。

交友関係

同じ事務所に所属する
カンニング竹山はテレビ番組で最近のダンディ坂野について聞かれた時、「坂野が『もっと遅くにデビューすればよかった』と嘆いていた」と語った。これは自身がブレークしたことがきっかけになって若手お笑いタレントブームが到来してしまったことを指している。

『ヘキサゴンII』での縁で、島田紳助と食事に行くなどの親交を持つようになるが、紳助曰く「普段は面白くない」とのことである。紳助は嫌いな人とはトークでネタ振りを余りしない、余り喋らないという性格であり、坂野を心配しての一種の愛情の裏返しとも取れる。

その他仕事

ブレイク時は10か月間休み無しで、早朝から深夜まで仕事をこなしていた。そのため、2003年下半期にはプチ鬱になり、身体が追いつかなくなっていったとのこと。

新橋ミュージックホール』1998年10月10日放送分のマイナーなタレント芸人を紹介する企画に出演し、ビートたけしと共演した。当時はまだブレイク前だったが、この頃から「ゲッツ!」などのギャグや芸風は確立されていた。ゲストの野口五郎からは「楽してるなぁ。僕たちがカックラキンやってる時はいつも傷だらけでやってた」と酷評された。

2003年5月28日発売のシングルCD「OH! NICE GET's!!」は、オリコンインディーズチャート1位を獲得した。

2003年9月に、ウルフルズの曲「ガッツだぜ!!」をパロディ化した「ゲッツだぜ!!」をリリースしたが、ウルフルズのファンなどからの抗議もあり、その年にブレイクしたはなわテツandトモと揃っての『紅白歌合戦』への出場はならなかった。しかし、綾小路きみまろとともに「応援」としての出場を果たした。

2006年、『イマだ!タレント再生工場 「ノムさん」』の企画を兼ねて元祖ムキムキマンとともにEXILEの新ボーカルオーディションに応募するも、一次予選で落選。

特捜戦隊デカレンジャー』に悪役として出演した際、ヒーロー側のメインキャストとは極力話さないようにするなどして、役作りを真剣に取り組んだ。
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