ダレイオス1世
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^ 擬古形ではdrywhw?という形を取る。恐らくこれのギリシア語形がダーレイアイオス(Dareiaios)であり、クテシアスの『ペルシア史』とクセノフォンの『ギリシア史』においてのみ検出される形である[2]
^ 一般にキュロス2世はアケメネス朝の初代王とされる。彼の祖父の名前もキュロスであることから、彼自身はキュロス2世とされる。キュロス1世はアンシャンの王としてキュロス2世の祖先の系譜にリストされている。
^ アケメネス朝の王たちが残した碑文中にゾロアスター(ザラスシュトラ)への言及はなく、またゾロアスター教においてアフラ・マズダーと対を為す悪神アーリマンへの言及もない[7]エミール・バンヴェニストは、当時のアケメネス朝の宗教について、はっきりとそれが「ゾロアスター教」であることを示すいかなる証拠も存在しないとし、アウラマズダーという神格はゾロアスター教よりも古い起源を持つものであると指摘する[7]。そしてこの時期に存在したアケメネス朝の宗教はギリシア人たちが記録したペルシア人の宗教である「マゴスの宗教」とも「ゾロアスター教」とも異なる「マズダー教」とでも呼ぶべきものであったとする[7]。一方で、ゲラルド・ニョリはマズダー教とゾロアスター教を等価として扱えるものであるとし、アケメネス朝の宗教はゾロアスター教であったと確言する[8]
^ ヘロドトスが記すパディゼイノスというマゴス僧の実在は疑わしい。ヘロドトスは彼についてカンビュセス2世留守中に王家の面倒を任された人物であるとするが[13]、これは「執事」、「管理人」を意味するパティクシャヤティア(patiX?ayathia)という役職を固有名詞として、簒奪者を二人に分割したものであると考えられる[14]
^ ヘロドトスによれば、オタネス(ウターナ)、アスパティネス(アシュパカナ)、ゴブリュアス(ガウバルワ)、インタプレネス(ウィンダファルナフ)、メガビュゾス(バガブクシャ)、ヒュダルネス(ウィダルナ)、ダレイオス1世(ダーラヤワウ1世)の7人
^ 対象者はウィンダファルナフ(インタプレネス)、ウターナ(オタネス)、ガウバルワ(ゴブリュアス)、ウィダルナ(ヒュダルネス)、バガブクシャ(メガビュゾス)、アルドゥマニシュ
^ 「王の目」「王の耳」という名称はヘロドトスによるが[41]、これは恐らくディディヤカ(*didiyaka、見張り)、ガウシャカ(gau?aka、聞き手)の訳語であると推定される[37]
^ アナトリア半島カリア地方沿岸にある小島。
^ ただし、松平千秋は『歴史』の訳注にてこの表現は誇張が過ぎるであろうと述べている。
^ ヘロドトスによればこの時ヒスティアイオスに同調したのはヘレスポントス地方のポリスの僭主としては、アビュドスのダプニス、ランプサコスのヒッポクロス、パリオンのヘロバントス、プロコンネソスのメトロドロス、キュジコスのアリスタゴラス、ビュザンティオンのアリストン、イオニア地方のものとしてはキオスのストラッティス、サモスのアイアケス、ポカイアのラオダマス、そしてアイオリス地方のキュメのアリスタゴラスらである。
^ スメルディス(ガウマータ)の排除に関わったオタネス(ウターナ)とは別人。
^ ギリシアの文献によれば、偽スメルディス(ガウマータ)は本物のスメルディスと見分けがつかないほど似通った容姿をしていたとされるが、仮にそのような人物が存在したとしても本人そのものとして振る舞うことができたとは考えられず、このような説話はおよそ現実的なものではない。このため、僭称者など存在せずダレイオス1世が殺害した偽スメルディスとは本物の王弟そのものであったという推測がしばしば行われる[73]。また別の説として、この「偽」の王スメルディスとは古代オリエントにおいて時折見られた身代わり王(代理王、王に凶兆があった時に一時的に王として扱われ、本物の王に代わって凶兆を受ける存在)だったのではないかとする説もある[74]

出典^ 伊藤 1974, p. xviii
^ a b c d e f g “ ⇒Encyclopedia Iranica DARIUS i. The Name”. 2017年12月31日閲覧。
^ 伊藤 1974, 巻末のペルシア式楔形文字表に依る。
^ 西洋古典学辞典 2010, pp. 738-739 「ダーレイオス」の項目より
^ a b c d e f 田辺 2003, pp. 154-156
^ a b c d 伊藤 1974, pp. 22-50
^ a b c バンヴェニスト 1996, pp. 12-44
^ ニョリ 1996, pp. 12-44
^ a b “ ⇒Encyclopedia Iranica DARIUS iii. Darius I the Great”. 2017年12月31日閲覧。
^ a b c d 山本 1997, p. 130
^ ヘロドトス, 巻3§139
^ 森谷 2016, p. 54
^ a b ヘロドトス, 巻3§61
^ 森谷 2016, p. 59
^ ヘロドトス, 巻3§65

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