ネイティブ・アメリカンのカドがこの地域に居住していた記録がある。18世紀、スペインの入植者がヌエバ・エスパーニャの副王領の一部としてテキサス州の領土所有を主張した。その後フランスもフランス植民地帝国として所有を主張したが、定住には至らなかった。以来ダラスの歴史において、フランス、スペイン、メキシコ、テキサス共和国、アメリカ連合国、アメリカ合衆国と6つの国旗がはためいている[14]。
1819年、アメリカとスペインの間でアダムズ=オニス条約が交わされ、ヌエバ・エスパーニャの北端がレッド川と定義され、のちのダラスはこの時正式にスペイン領となった[15]。1821年にメキシコ独立革命が起きるまでスペインに統治され、メキシコ合衆国のコアウイラ・イ・テハス州の一部とみなされた。1836年、ほとんどがアングロアメリカ人入植者からなるテクシャンはテキサス革命によりメキシコから独立し、テキサス共和国を創立した[16]。
テキサスが独立してから3年後、テネシー州の弁護士であるジョン・ニーリー・ブライアンが入植し、のちのダラスの周辺地域を調査した[17]。1839年、ブライアンは1匹の犬とネッドと呼ばれるチェロキーを伴い、トリニティ川の3つの分岐点の近くの絶壁に杭で印をつけて出発した[18]。2年後の1841年に戻り、恒久的な入植地を設立して「ダラス」と名付け、一帯で栽培される綿花の集散地として発展させた[19]。「ダラス」という名の起源は定かではないが、歴史研究家によるとペンシルバニア州フィラデルフィア出身の第11代アメリカ合衆国副大統領ジョージ・ダラスに因んで命名されたとされる。しかし他にも、その兄の海軍士官アレクサンダー・ダラス、ウォルター・R・ダラス、ジェイムス・R・ダラスなどを起源とする説もある[20][21]。テキサス州ヒューストンは祖先がスコットランドのレンフルーシャーのヒューストン村出身であるサミュエル・ヒューストンに因んで名付けられたことから、同じくスコットランドのマレーのダラス村から名付けられたという説もある[注釈 2]。
1845年、テキサス共和国はアメリカに併合され、翌1846年、ダラス郡が設立された。1856年2月2日、正式にダラス市となった[22]。1800年代半ば、フランスの社会主義者たちがトリニティ川沿いに短期間ではあるがLa Reunionを設立し、のちにウエスト・ダラスと呼ばれるようになった[23]。