ダラス・バイヤーズクラブ
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財政難の一方でバイヤーズクラブに入会を希望する患者の数は日に日に増加していき、その中にはAZTを服用している者たちが多くいた。そのことを知ったロンはAZTの開発元である製薬会社アボネックスが主催する講演会に乗り込み、エイズ患者に毒性が強い薬を売りつけるアボネックスと事実を知りながら認可したFDAを激しい怒りと共に非難する。同時に会場にいた患者たちにAZTの服用を止めてペプチドTを使うように呼びかけていく。そうしていく内にも多くの患者たちが薬を受けとれぬまま亡くなっていき、ロン自身も徐々に体調が悪化していく。満身創痍状態の中、彼の闘いはFDAを相手取った法廷闘争へと移っていく。FDAの所業を非難すると共にペプチドTの承認を訴えるロンに対し、裁判所はロンの怒りを肯定しつつ訴えそのものについては「法的根拠が希薄」との理由で棄却する。法廷闘争自体はロンの敗訴に終わるが、FDAは未承認薬であるペプチドTのアメリカ国内での使用を認める。多くの患者たちに救いがもたらされ、ロンもカウボーイとして念願の復帰を果たすまでに回復する。

余命宣告されてから7年後の1992年。長きに渡る戦いの末にロンはこの世を去っていった。
キャスト

※括弧内は日本語吹替

ロン・ウッドルーフ -
マシュー・マコノヒー藤原啓治

イブ・サックス - ジェニファー・ガーナー渡辺ゆかり

レイヨン - ジャレッド・レト小倉直寛

タッカー - スティーヴ・ザーン畠山豪介

デイヴィッド・ウェイン - ダラス・ロバーツ

リチャード・バークレー - マイケル・オニール

セヴァード - デニス・オヘア石原辰己

ヴァス - グリフィン・ダン

フランシーヌ・サスキンド - ジェーン・マクニール(英語版)

レイヨンの父 - ジェームズ・デュモン(ポルトガル語版)

サニー - ブラッドフォード・コックス(英語版)[4]

T.J. - ケヴィン・ランキン菊池康弘

ラリー - ローレンス・ターナー(英語版)

ネディ・ジェイ - アダム・ダン

製作過程
発展

1992年にジャーナリストで作家のBill Minutaglioによって書かれた『ダラス・モーニングニュース』の長編記事で取り上げられたHIV/エイズ患者のロン・ウッドルーフ(英語版)の実話が基となっている[5]。1992年9月にウッドルーフが亡くなる1か月前、脚本家のクレイグ・ボーテン(英語版)が友人からこの話を聞き、脚本執筆のためにウッドルーフにインタビューをするため会いに行った。ボーテンはウッドルーフとの何時間にも亘るインタビューを録音し、個人的な日記も見せてもらった[6][7]。ボーテンは大作映画となることを信じて脚本を執筆し、1996年半ばに映画製作への協力者を集め始め、デニス・ホッパーが監督となった[8]コロンビア ピクチャーズが脚本を購入することになったが、資金を集めることができなかった[9]

インタビューにおいて、ボーテンは2000年にメリッサ・ウォラック(英語版)と会い、脚本の手助けを頼み承諾されたことを明かした[10]。2001年、脚本の共同執筆から1年後、プロデューサーのロビー・ブレナー(英語版)に脚本を売却し、ユニバーサル・ピクチャーズマーク・フォースターが監督することとなったが、個人的理由により離脱した[11]。2008年6月、ユニバーサル・ピクチャーズとストライク・エンターテイメントにてデイヴィッド・ブシェルとマーク・エイブラハムがプロデュースとなるこの作品に、クレイグ・ギレスピーライアン・ゴズリングが参加する交渉をしていた[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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