ダライ・ラマ14世
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^ 最初にダライ・ラマの称号を授かったのはスーナムギャムツォ。
^ 「それまでに8人の子供が生まれていた」とある[14]。なお、「子供7人のうちの5番目の生まれ」という説もある[15]
^ チベット語表記:????????????????
^ チベット語表記:?????????????????????????????????????????????????
^ 教師としてついたのはレティン・リンポチェ(当初上級教師、後に教師からはずれる)、タタ・リンポチェ(当初下級教師、後に上級教師に昇格)、キゥツァン・リンポチェ(非公式の個人教師、元捜索隊長)、リン・リンポチェ(タタ・リンポチェのかわりに下級教師となった)。リン・リンポチェとは親友となった[23]
^ チベット語にはウ・チェンとウ・メという2種類の筆記形態があり、一方は私的な書き物、もう一方は公文書や書簡用となっている[24]
^ 少年のダライ・ラマの生活スケジュールについては次の通り。朝6時起床、着替えて1時間ほど祈祷と瞑想。7時に朝食を摂り、それから授業の開始。12時ちょうどに鐘が鳴り、昼休みとなり、子供らしく遊ぶ。1時に軽い昼食。食後すぐに授業が再開。一般教育。午後4時にお茶。その後2人のチェンシャプが来て、抽象的な論題(たとえば「心」の本性とは何か?)といった質問との格闘。午後5時半頃にようやく1日の試練から開放される。7時頃まで絵を描いたりして過ごし、夕食。夕食後は宮殿の内庭を散歩をしながら経典を暗誦したり祈祷をする決まりになっていたが、実際は子供らしく物語を考え出したりして時を過ごしたという[25]
^ 少年期のダライ・ラマ14世が受けた一般教育のカリキュラムの内容は仏教学で学位取得を目指す他の僧たちと同じで、主要科目・副科目に分かれ、次のような内容。主要科目:「論理学」「チベット芸術と文化」「サンスクリット」「医術」「仏教哲学」。この中でも「仏教哲学」が一番深遠で、5つに分類されていて、「プラジュニャーパーラミター(般若波羅蜜=智慧の完成)」「マディヤミカ(中観=中庸の道)」「アビダルマ(=形而上学)」「ヴィナヤ(=僧院生活の戒律)」「プラマーナ(=論理学認識論)」。副科目:詩歌、音楽・ドラマ、占星学、韻律・表現法・同義語研究[26]
^ 10歳の時から、チベットの僧院教育で基本とされている弁証法討論技術を熱心に学んだ。ダライ・ラマとして仏教哲学を知っているだけでなく、討論にも熟達している必要があったためである[27]
^ 政府の会議のある時には、授業は朝10時に中断し、その会議に出席した[28]
^ 金属製の組み立て式玩具「メカーノ」で遊んだり、ぜんまい仕掛けの汽車のセットなどがお気に入りだったという。また、他にも板を駆け上ってそこからジャンプするなど、腕白な遊びも大好きだった、という[29]。色々な物をばらして組み立てるのが好きだったという[30]
^ ダライ・ラマは説得を試みたが、群衆の怒りは止まるところを知らず、中国軍の実力行使で大勢の人々の命が奪われると予想された。自伝によれば、同年3月17日、託宣僧に伺いを立てると脱出を教示され、まもなく市街戦が始まり、もはや自分が宮殿からいなくなること以外に事態を沈静化する手立てはないと覚悟したという[35]

出典^ "The Institution of the Dalai Lama" by R. N. Rahul Sheel in The Tibet Journal, Vol. XIV No. 3. Autumn 1989, pp. 19-32 says on pp. 31-32, n. 1: "The word Dalai is Mongolian for "ocean", used mainly by the Chinese, the Mongols, and foreigners. Rgya mtsho, the corresponding Tibetan word, always has formed the last part of the religious name of the Dalai Lama since Dalai Lama II [sic ? should read Dalai Lama III]. The expression Lama (Bla ma) means the "superior one". Western usage has taken it to mean the "priest" of the Buddhism of Tibet. The term Dalai Lama, therefore, means the Lama whose wisdom is as deep, as vast and as embracing as the ocean."(和訳:「ダライ」という言葉はモンゴル語で「海」を意味し、主に中国人、モンゴル人、外国人が用いているものである。これに対応するチベット語の「ギャムツォ」はダライ・ラマ2世以来、つねにダライ・ラマの法名の末尾を構成するものとなっている〔原文ママ - ダライ・ラマ3世を参照せよ〕。ラマという表現は「上人」を意味する。今までの西洋の用法では、ラマをチベット仏教の「聖職者」を意味するものとして捉えている。したがってダライ・ラマという言葉は、海のように深く広大な、包括的な智慧を有するラマを意味している。)
^ Mark Sappenfield and Peter Ford (March 24, 2008). ⇒Dalai Lama must balance politics, spiritual role. The Christian Science Monitor Retrieved on: May 9, 2008
^ ポマレ 2003, p. 123.
^Tibetan Charter Drafting Committee Issues Draft Preamble 2013年5月27日閲覧。
^ Sam van Schaik. “chap.7”. Tibet: A History [要文献特定詳細情報], デイヴィッド・スネルグローヴ、ヒュー・リチャードソン 著、奥山直司 訳「第8章」『チベット文化史』春秋社。 [要文献特定詳細情報]
^ “A Brief Biography”. The Office of His Holiness the Dalai Lama. 2009年11月21日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2019年4月14日閲覧。
^ ロラン・デエ 著、今枝由郎 訳『チベット史』春秋社、2005年10月、135頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4393118030。 
^ 田中 2000, pp. 97?100.
^ 田中公明『図説 チベット密教』 春秋社、2012年4月、55・57頁。
^ 河口慧海『チベット旅行記』 3巻、講談社〈講談社学術文庫〉、1978年。 [要ページ番号], 多田等観『チベット』岩波書店〈岩波新書〉、1942年、9,13-14,14-16,41-45頁。 , 青木文教『西蔵遊記 : 秘密の国』中央公論新社〈中公文庫〉、1990年、284頁。ISBN 4122016835。 
^ 田中 2000, pp. 113?114.
^ 田中 2000, p. 150.

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