ダムディン・スフバートル
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社会主義崩壊後の今日でも「近代モンゴル軍の父」として英雄視され、モンゴルの紙幣トゥグルグにはチンギス・カンとともに彼の肖像が用いられてもいる[1]共産主義者としてよりは民族主義者として独立運動を展開していたとの評価もある。なお実際には1921年9月から1925年まで軍の最高指導者の地位にいたのはブリヤート人エルベクドルジ・リンチノ(英語版)(汎モンゴル主義の主唱者であり、1921年モンゴル革命の思想、実務両面で非常に重要な役割を果たした。)であり、スフバートルが軍の最高指導者の地位にいたのは1921年3月から9月までの半年に過ぎない。

モンゴルの首都ウランバートル中心部のスフバートル広場には彼の騎馬像が今も残るが、2005年の政府宮殿の改装の際にスフバートル廟は取り壊された(遺体は2004年に火葬された)。

また、モンゴル北部にあるセレンゲ県には、彼の名を冠した県都スフバートルがある。

日本の防衛大学校に当たるモンゴル国防大学は1921年9月にスフバートルが創設したことから彼の名が長くつけられ、モンゴル海軍に籍を置いていた唯一の艦艇にも彼の名がつけられていた。
脚注[脚注の使い方]^ “世界「お札の顔」の物語、肖像が教えてくれること”. natgeo.nikkeibp.co.jp. ナショナル ジオグラフィック. 2022年6月13日閲覧。

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