ダニエル・デイ・ルイス
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2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
その他の賞
トロント映画批評家協会賞
主演男優賞
2017年ファントム・スレッド

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サー・ダニエル・マイケル・ブレイク・デイ=ルイス(Sir Daniel Michael Blake Day-Lewis, 1957年4月29日 - )は、イギリス出身の俳優。2019年現在、アカデミー主演男優賞を3回受賞している唯一の俳優である。
来歴
生い立ち

ロンドンで生まれ、グリニッジで育つ。父親は桂冠詩人セシル・デイ=ルイス(ニコラス・ブレイクの名前でミステリ作家としても知られる)。母親はバルト三国からの出自を持つユダヤ系の女優ジル・バルコン(Jill Balcon)である。母方の祖父は映画プロデューサーで、イーリング・スタジオの代表だったマイケル・バルコン(英語版)[2][3]。姉のタマシン・デイ=ルイス(英語版)はドキュメンタリー映画の監督[4]
キャリア

オールド・ヴィク演劇学校(Bristol Old Vic Theatre School)で演技を学び、1971年に『日曜日は別れの時』で映画デビューしたが、しばらくはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどの舞台で活動していた。1982年に再び映画界に戻り、『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985年)・『眺めのいい部屋』(1986年)に連続出演し、この2作品で注目され、ニューヨーク映画批評家協会賞 助演男優賞を受賞。『存在の耐えられない軽さ』(1988年)でアメリカ映画に進出。1989年公開の『マイ・レフトフット』でアカデミー主演男優賞を受賞。

1991年の『羊たちの沈黙』でアンソニー・ホプキンスが演じたハンニバル・レクター役の最終候補の3人に挙がっていたという(候補は彼とホプキンスとデレク・ジャコビだった)[5]

一時期、俳優業を休業して靴屋になるためにイタリアで修行していたが[6]マーティン・スコセッシ監督に説得され、2002年公開の『ギャング・オブ・ニューヨーク』で俳優復帰。この作品でアカデミー主演男優賞にノミネートされた。

2007年公開の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では第80回アカデミー賞主演男優賞を始めとする多数の映画賞を受賞した。

2012年公開の『リンカーン』で、第85回アカデミー賞主演男優賞を受賞、史上初となる3度目の同賞受賞者となった[7][8]。アカデミー賞受賞後、『リンカーン』での演技をきわめたことに困難を感じ、俳優業から休業することを発表した[9]

2014年6月、演劇への貢献を讃えられエリザベス2世よりナイトの称号(KBE)を与えられた[10]

2015年9月、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジから文学の名誉博士号を授与された[11]

2017年に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・トーマス・アンダーソン監督と再び組み、『ファントム・スレッド』に主演。本作を最後に引退すると報じられている。また、この作品では架空のファッションデザイナーを演じたが、実生活でも今後はファッションデザイナーとしての活動を始めるつもりだという[12]
演技

2012年4月の英Total Film誌よる「映画史に残る演技ベスト200(The 200 Greatest Movie Performances of All Time)」では『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』での演技で『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソン、『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロに次ぐ3位にランクインした[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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