ダドリー・ムーア
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後にクックは『ミスター・アーサー』よりも『ミスター・アーサー2』のほうが好きだと主張してムーアを奮い立たせようとした。

ムーアは俳優だけでなく作曲家やピアニストとしての活動も継続しており、多くの映画の曲を書き、ピアノの演奏を提供したが、それらの作品には好みのクラシック音楽のパロディが特徴的に見られた。さらに、指揮者ゲオルク・ショルティと共同して1991年のテレビシリーズ『Orchestra!』を製作。これは一般大衆に交響楽のオーケストラを紹介するための番組であった。後にアメリカの指揮者マイケル・ティルソン・トーマスとともに、似たようなテレビシリーズ『Concerto!』を1993年から手がけたが、やはりこれも一般大衆にクラシック音楽のコンツェルトを紹介するものであった。1984年、ドイツのナスターシャ・キンスキーを共演に迎えてのサスペンスコメディ『殺したいほど愛されて』では歳の離れた妻への疑惑に煩悶する世界的指揮者に扮し、指揮やヴァイオリン演奏を披露。音楽家兼コメディアンの本領を発揮した。

1987年、ピアニストでもある音楽評論家のレナ・フラクターからニューヨーク・タイムズの取材を受けた。二人は親密な友人となった。このころにはすでにムーアの映画界での活動は下火になっていた。実は台詞を覚えることができない障害に悩まされていたが、それまでにそういう問題に出くわした経験はなかった。ピアノに専念する道を選び、フラクターをアーティストとしてのパートナーにと考えた。アメリカやオーストラリアで二人はデュオとして活動した。しかし、やがて病状が明らかになりはじめ、指が思うとおりに動かなくなってきた。ろれつの回らないしゃべりやバランスを失った動きは、大衆やメディアによってアルコール中毒の症状として解釈された。ダドリー・ムーア自身が、この症状について何ら説明することができずにいた。ニュージャージーのフラクターの家族の家に引っ越し、そこに5年滞在したが、そのことがフラクターの結婚生活やムーアとの友情に大きな負荷を与えてしまい、とうとうムーアを隣の家に移してしまった。

ムーアは1995年のピーター・クックの折り悪しき死によって取り乱してしまい、何週間にもわたって定期的にロンドンのクックの家に電話をかけては、返事の電話がかかってきて親友の声が聞けるのを待っていたりした。ムーアはクックの葬儀に参列したが、彼を知るたくさんの人がその振る舞いのおかしいことに気付いて、それはきっと失望か飲酒によるのだろうと見られた。1995年11月にムーアは友人たちとユーモア作家のマーチン・ルイスを集めてクックの一泊お別れ会をロサンゼルスで開き、ホストのルイスを補助した。
栄誉

2001年6月、ムーアは大英帝国勲章司令官(CBE)に叙勲された。病状がよくないにもかかわらず式典に出席し、バッキンガム宮殿において、車椅子に乗り無言のまま勲章を授与された[1]
私生活

ムーアは結婚と離婚を4度している。その相手はいずれも女優のスージー・ケンドール、チューズデイ・ウェルド(1976年に息子パトリックをもうけた)、ブローガン・レイン、そしてニコール・ロスチャイルド(1995年に息子ニコラスが生まれている)である[2]

ケンドールとは特に良好な関係を維持しており、またウェルドやレインともそうであった。しかしながら、ロスチャイルドには自身の葬儀に出席することを明確に禁止した。病状が明らかになってきたころ、ロスチャイルドとの離婚に非常に苦労したが、なんとこのころ、ロサンゼルスで彼女だけでなくその前夫まで共同生活していたのである。

ムーアはハリウッドでも屈指の魅力的な女性たちと付き合ったり、あるいは好まれていたが、その中には彫刻のような美しさを持つスーザン・アントンも含まれていた。
病と死

1998年6月、ニコール・ロスチャイルドがアメリカのテレビ番組において、ムーアは深刻な病のため「余命いくばくもない」と発表したが、これはスージー・ケンドールによって否定された[3]

1999年9月30日、ムーアはPSP (進行性核上性麻痺)による末期の退行性脳障害に冒されており、年内までの命と診断されたことを公表した[4]

2002年3月27日、麻痺によって二次的に引き起こされた肺炎が原因でニュージャージー州ワチャングにて死去。66歳。亡くなったときレナ・フラクターがその手を握っており、最期の言葉が「僕を取り巻いている音楽が聞こえる」であったことを伝えた。ムーアはニュージャージー州スコッチ・プレインズのヒルサイド墓地に埋葬された。フラクターは後に2人の思い出を出版した(『Dudley Moore』Ebury Press, 2004年)。

2004年12月、イギリスの「チャンネル4」は、ムーアとクックの関係をドラマ化したテレビ映画『Not Only But Always』を放送したが、作品はクックのほうに焦点があてられていた。同じ時期、この2人の関係は『Pete and Dud: Come Again』という舞台の題名にもなった。
主な映画出演

公開年邦題
原題役名備考
1966The Wrong Boxジョン
1967
悪いことしましョ!
Bedazzledスタンリー・ムーン
1969モンテカルロ・ラリー
Monte Carlo or Bust!バリントン
リチャード・レスターの不思議な世界
The Bed Sitting Room軍曹
1972不思議の国のアリス
Alice's Adventure in Wonderlandヤマネ
1978ファール・プレイ
Foul Playスタンリー・ティベッツ
The Hound of the Baskervillesワトソン博士
1979テン
10ジョージ
1980ダドリー・ムーアのモーゼの気分で
Wholly Moses!ハーヴィー/ハーシェル
1981ミスター・アーサー
Arthurアーサー・バックゴールデングローブ賞 受賞
1982オータム・ストーリー
Six Weeksパトリック・ダルトン
1983Lovesickソウル・ベンジャミン
ロマンチック・コメディ
Romantic Comedyジェイソン
1984殺したいほど愛されて
Unfaithfully Yoursクロード・イーストマン
おかしな関係
Best Defenseワイリー・クーパー
結婚ダブルス/ミッキー&モード
'Micki + Maudeロブ・サリンジャーゴールデングローブ賞 受賞
1985サンタクロース
Santa Claus: The Movieパッチ
1987ハモンド家の秘密
Like Father Like Sonジャック・ハモンド/クリス・ハモンド
1988ミスター・アーサー2
Arthur 2: On the Rocksアーサー・バック兼製作総指揮
1990クレイジー・ピープル
Crazy Peopleエモリー
1992ベルボーイ狂騒曲/ベニスで死にそ?
Blame It on the Bellboyメルヴィン・オートン
1993フライング・ピクルス
The Pickleプラネット・クリーヴランド・マンクレジットなし
1996ケビン・ジョンソンの失踪
The Disappearance of Kevin Johnson本人
1998The Mighty Kongカール・デナム/キングコング声の出演

イギリス シングルチャート

『Goodbye-ee』(1965) Peter Cook and Dudley Moore名義

『The L.S. Bumble Bee』(1967) Peter Cook and Dudley Moore名義

『Song for Suzy』(1972) Dudley Moore Trio名義

出典^“Tributes flood in for Moore”. BBC News. (2002年3月28日). ⇒http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/1898076.stm 2011年8月25日閲覧。 
^ Daniel Jeffreys (1996年6月17日). ⇒“The wives and times of cuddly Dudley”. Independent.co.uk. ⇒http://www.independent.co.uk/life-style/the-wives-and-times-of-cuddly-dudley-1337512.html 2013年8月27日閲覧。 
^“Health fears for Dudley Moore”. BBC News. (1998年6月9日). ⇒http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/109902.stm 2010年3月29日閲覧。 
^“Dudley Moore has rare brain disease”. BBC News. (1999年9月30日). ⇒http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/461376.stm 2010年3月29日閲覧。 

参考文献

『From Fringe to Flying Circus - 'Celebrating a Unique Generation of Comedy 1960-1980』Roger Wilmut, Eyre Methuen Ltd, 1980年

『Pete & Dud: An Illustrated Biography』Alexander Games, Andre Deutsch, 1999年
ISBN 0-233-99642-7

『Pete and Dud: Come Again』Chris Bartlett and Nick Awde, Methuen Drama, 2006年 ISBN 0-413-77602-6

『Dudley Moore』Rena Fruchter, Ebury Press, 2004年

外部リンク

Dudley Moore
- IMDb(英語)

ダドリー・ムーア - allcinema

Obituary at CNN.com

Radio 4 in the UK reflect on Dudley's life - programme "affectionately dudley" 2006





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