アメリカでは、ダダの流れを汲むニューヨーク・ダダやニュー・バウハウスなどの土壌があったが、1960年代にダダイスム運動が復興し、ネオダダと呼ばれ、「反芸術」運動として隆盛した。のちのポップアートやコンクレーティズム(日本では具体派)、コンセプチュアリズムなどへ分岐していった。この意味で第二次世界大戦以後の現代美術の震源地となったといえる。
主要都市におけるダダ
チューリッヒ・ダダ(1915年頃 - 1920年頃) - フーゴ・バル、ハンス(ジャン)・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベック、マルセル・ヤンコ、トリスタン・ツァラ、ハンス・リヒター、ゾフィー・トイバー=アルプ
ニューヨーク・ダダ
ベルリン・ダダ(1917年頃 - 1922年頃) - リヒャルト・ヒュルゼンベック、ジョージ・グロス、ジョン・ハートフィールド、ラウル・ハウスマン、ヨハネス・バーダー、ハンナ・ヘッヒ、ヴァルター・メーリング、ゲルハルト・プライス、ヴィーラント・ヘルツフェルデ
ケルン・ダダ(1917年頃 - 1922年頃) - マックス・エルンスト、ヨハネス・テオドア・バーゲルト(本名:アルフレート・グリューンバルト)、ハインリヒ・ホーレ
ハノーヴァー・ダダ(1917年頃 - 1922年頃) - クルト・シュヴィッタース
パリ・ダダ(1919年頃 - 1924年) - アンドレ・ブルトン、ジャン・クロッティ、ポール・エリュアール、バンジャマン・ペレ、フィリップ・スーポー、ルイ・アラゴン、ジョルジュ・リブモン=デセーニュ、ジャック・リゴー、テオドア・フラエンケル
ダブリン・ダダ(1920年頃 - 1922年頃) - ダーモット・オライリー
オランダ - テオ・ファン・ドゥースブルフを中心として「デ・ステイル」(1917年 - 1931年)が結成され、新造形主義を経て要素主義に至り、ロシア・アヴァンギャルドの影響を受けていたヴァルター・グロピウスに影響を与えることで、バウハウスを合理主義・機能主義(工業デザインや大量生産に合致するような方向)へと向かわせた。初期のIT産業に大きな影響を与えたフロッグデザインなども、バウハウスでのインダストリアルデザインを源流とするドイツ企業である。
ロシア - ロストフ・ナ・ドヌで文芸集団「ニチェヴォキ(ロシア語版)」が結成され、1922年にボリシェビキのプロパガンダ作成をしていたウラジーミル・マヤコフスキーに対してトベルスコイ通り(ロシア語版、英語版)のプーシキン像へ行って靴磨きを見るように勧め、「プーシキン運動」(Pampushka)を提案し、1923年のレフ結成に影響を与えた。