ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman、1937年8月8日 ? )は、アメリカ合衆国の俳優。身長165cm。『クレイマー、クレイマー』(1979年)と『レインマン』(1988年)でアカデミー主演男優賞を受賞した。 カリフォルニア州ロサンゼルスにてセールスマンの父の元に生まれる。ウクライナからのユダヤ系の血と[1]ルーマニアからのユダヤ系の[2][3]血を引いている。ロサンゼルス高校卒業。ジャズピアニストになる希望を持っており、ロサンゼルス音楽学校
来歴
ニューヨークに移り、小さなテレビ番組の役を含む一連の仕事を引き受けたが、自活するために演劇を一時離れ、教員の仕事に就いた。1960年にはオフ・ブロードウェイで初舞台を踏み、1961年にブロードウェイで初舞台を踏んだ。その後リー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオで学び、『The Tiger Makes Out』(1967年)で映画デビューを果たした。
同年、マイク・ニコルズ監督の『卒業』(1967年)で主演デビューを果たす。本作では、年上の女性と、その女性の娘である同年代の女性との間で揺れ動く繊細な大学生を演じ、名声を獲得[5]。アカデミー主演男優賞ノミネートも受けた。また、2年後の『真夜中のカーボーイ』(1969年)では前作とは正反対のホームレス役に挑んだことで再びアカデミー賞にノミネートされ、更なる人気を獲得。その後も『小さな巨人』(1970年)や『わらの犬』(1971年)、『パピヨン』(1973年)、『大統領の陰謀』(1976年)などの名作に出演し、俳優としての地位をゆるぎないものにした。そして、1979年の『クレイマー、クレイマー』で遂にアカデミー主演男優賞に輝いた。
80年代に入るとブロードウェイに復帰したこともあって寡作になるが、『トッツィー』(1982年)で披露した女装や、2度目のアカデミー主演男優賞に輝いた『レインマン』(1988年)で見せた発達障害の演技など、常に挑戦的な役に取り組み続けた。しかし、同時に完璧主義者でもあったためにスタッフ間との確執を生み、制作困難を引き起こすこともあった。それでも90年代に入っても精力的に活動を続け、『フック』(1991年)や『アウトブレイク』(1995年)といった話題作に出演。『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』(1997年)では再びアカデミー賞にノミネートされた。
21世紀以降も『ミート・ザ・ペアレンツ』シリーズといった話題作に出演し、2012年には『カルテット! 人生のオペラハウス』で監督デビューを果たした。本作はトロント国際映画祭で上映され[6]、高い評価を獲得した。
2017年には、『セールスマンの死』に、当時17歳でプロダクション・アシスタントとして参加したアナ・グラハム・ハンターへのセクシャルハラスメント行為について、ハンター本人の手記により告発された。ホフマン本人は「私は女性に最大の敬意を抱いており、自分の行動が彼女を不愉快な状況に追い込んだとしたら誠に遺憾です。申し訳ありません。本来の自分を反映した行動ではありません」との声明を発表した[7]。 1969年5月に結婚した最初の妻アン・バーン[8]との間に2人の娘カレンとジェンナがおり(カレンはアンの連れ子)、アンとの離婚後、1980年10月にリサ・ゴットセーゲンと再婚した。4人の子供、ヤコブ、マックス、レベッカ、アレクサンドラとコネティカットに住む。 熱心な民主党支持者[9]であり、1950年代のジョセフ・マッカーシーの赤狩りと下院非米活動委員会への激しい批判など、しばしば政治的発言
人物