ダイハツ工業
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2016年度の国内販売台数は57万台だが、これに加えてトヨタ・スバルへのOEM供給・受託生産が25.5万台あり、軽自動車メーカーとしてのみならずトヨタグループの重要な生産拠点としての役割も大きい。

2016年にトヨタがダイハツの株式を100%取得し、完全子会社となった。これ以降ダイハツはトヨタグループにおいて軽自動車を含む小型車部門としての立場を明確にし、新興国向け戦略の一翼を担うことになる。

2023年、過去34年に亘る認証試験での大規模不正が発覚。これにより、国内外で展開している全車種の製造・出荷を停止。同年12月21日、国土交通省がダイハツへの立ち入り検査を実施。作業再開は検査の後となるが、長期化の恐れがある[24]ダイハツ工業認証試験不正問題)。日本の自動車産業史上、前代未聞の不祥事となった[25]

2024年、国土交通省による再検査を経て、基準を満たしていることが確認された車から順次出荷停止指示が解除、生産が再開された。5月7日に本社工場(大阪府池田市)での軽自動車「コペン」の生産を再開し、国内4拠点の5つの完成車工場すべてが稼働を再開した。
年表

1907年3月 - 発動機製造株式会社を設立[6]。本社は大阪府西成郡中津村大字下三番字建田[4]。代表は岡實康[26]

1911年12月 - 社長制度を採用し、初代社長に黒川勇熊が就任[6]

1919年6月 - 2代目社長に河野豊次郎が就任[6]

1921年12月 - 3代目社長に伊藤敬三郎が就任[6]

1926年1月 - 4代目社長に高洲清二が就任[6]

1930年12月 - ダイハツ初の三輪自動車「HA型」が完成[6]

1933年6月 - 東京出張所を開設[6]

1937年4月 - 小型四輪自動車「FA型」を制作[6]

1939年

5月 - 池田工場(現・本社第1工場)を開設[6]

12月 - 5代目社長に柴田貞一が就任[6]


1944年4月 - 軍需会社に指定[6]

1946年

1月 - 大阪工場が賠償工場に指定(6月解除)[6]

8月 - 池田工場が賠償工場に指定[6]


1947年12月 - 6代目社長に竹崎瑞夫が就任[6]

1949年5月 - 東京証券所大阪証券所に上場[6]

1951年12月19日 - ダイハツ工業株式会社に改称[27][28]

1952年

9月 - 池田工場で研究・試作していたオートバイを生産するため阪神内燃機工業と共同でツバサ工業を設立[29]

11月 - 伊丹工場を操業[27]

12月 - 東京工場を操業[27]


1955年12月 - 7代目社長に小石雄治が就任[27]

1961年6月 - 池田第2工場を操業[27]

1964年9月 - 自動車生産累計100万台を達成[27]

1965年

2月 - 池田第2工場・西工場が完成[27]

3月 - 本社事務所が池田市に完成(現本社・本館)[27]


1966年

5月 - ディーゼル機関の製造販売部門を分離独立しダイハツディーゼル株式会社を設立[27]

12月 - 本社住所が「池田市ダイハツ町1-1」に変更[27]


1967年11月 - トヨタ自動車工業およびトヨタ自動車販売と業務提携[30]

1968年

7月 - ダイハツ自動車販売株式会社の営業を開始[30]

12月 - 8代目社長に伊瀬芳吉が就任[30]


1970年11月 - 旭工業株式会社(旧・明和自動車工業)と合併[30]

1972年3月 - 多田工場を操業[30]

1973年4月 - 京都工場を操業[30]

1974年4月 - 滋賀第1工場を操業[30]

1975年9月 - 9代目社長に大原栄が就任[31]

1976年

3月 - 西宮工場を閉鎖[31]

12月 - 伊丹工場を閉鎖[31]


1977年11月 - 自動車生産累計500万台を達成[31]

1979年

6月 - ベルギーブリュッセルに欧州駐在員事務所を開設[31]

10月 - 海外工場「P.T.ダイハツ・インドネシア」を稼働[31]


1980年

4月 - 合弁会社「ダイハツ・マレーシア社」の営業を開始[31]

11月 - 西宮部品センターを稼働[31]


1981年7月 - ダイハツ工業株式会社とダイハツ自動車販売株式会社が合併[32]

1982年9月 - 10代目社長に江口友鉱が就任[32]

1985年

5月 - 「P.T.ダイハツ・エンジン・マニュファクチャリング・インドネシア」を稼働[32]

12月 - 自動車生産累計1000万台を達成[32]


1986年

7月 - アメリカに「ダイハツ・アメリカ社」を設立[33]

10月 - 滋賀新テストコースが完成[33]


1987年12月 - ダイハツ女子陸上部が発足[33]

1988年6月 - 11代目社長に大須賀二朗が就任[34]

1989年1月 - 滋賀(竜王)第2工場(現・滋賀(竜王)工場第2地区)を操業[33]

1990年

2月 - 亜細亜自動車と技術協力契約に調印[33]

6月 - ピアッジオと合弁契約に調印[33]


1991年6月 - 滋賀テクニカルセンターが完成[33]

1992年

1月 - インドネシアに新合弁会社を設立[33]。同月、西宮部品センターが完成[33]

3月 - 電気自動車事業部を設立[33]。同月、EV専用工場「城南工場」を稼働[33]

6月 - 12代目社長に豊住崟が就任[34]


1993年

2月 - マレーシア第2国民車プロジェクトの合弁会社契約に調印[33]

10月 - 中国天津事務所を開設[35]


1995年6月 - 13代目社長に新宮威一が就任[36]

1996年7月 - 中国・柳州市で商用車の生産を開始[35]

1998年

2月 - 国産汽車と現地生産の技術援助契約を締結[35]

9月 - トヨタ自動車が8月30日から9月21日に行った株式公開買付けでダイハツの株式の過半数を取得。同社の連結子会社となりトヨタグループ入り[37]

11月 - 自動車生産累計2000万台を達成[35]


1999年2月 - 「ダイハツベルギー」を設立[38]

2000年

6月 - 14代目社長に山田隆哉が就任[36]


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