ダイニチ映配
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

これ以降は一部を除き、大映と日活が新作を1本ずつ持ち寄り、それらを抱き合わせる形で公開する2本立を、興行の基本とした[注釈 4]。会社発足の当初に、新聞広告で掲げたキャッチコピーは、文字通り「大映・日活の封切作品が一度に見られるダイニチ!」であった[注釈 5]

両社の経営環境はすでに過酷な状態にあり、引き続きベテランを中心としたスタッフや俳優の退社、映画製作予算の削減、旧来の撮影所システムによる映画作りが破綻・制作現場の荒廃が進む中、限られた予算で映画を制作するために「暴力・エロ・グロ」を中心に企画を打ち出す。

その中から生み出された代表的な作品として、日活の『野良猫ロック』シリーズ、『ハレンチ学園』、『八月の濡れた砂』などのアナーキーな「日活ニューアクション」。大映の『でんきくらげ』『十代の妊娠』『高校生ブルース』『おさな妻』といった「ジュニア・セックス・シリーズ」が挙げられる。

数は少ないながらも、新人・若手の台頭もあった。代表格が、大映の関根恵子(現・高橋惠子)で、『高校生ブルース』『おさな妻』では、ヌード、十代での妊娠など体当たりの演技をこなして注目を浴びている。

他にも大映では関根恵子と共演した篠田三郎松坂慶子。日活では夏純子[注釈 6]沖雅也、『八月の濡れた砂』主演の村野武範が挙げられる。

石原慎太郎原作の『スパルタ教育くたばれ親父』(日活)では、往年の日活のスター、石原裕次郎と、大映の看板女優・若尾文子が夢の共演を果たすシナジー効果も生み出している[注釈 7]。因みに本作品の同時上映は、勝新太郎主演の『座頭市あばれ火祭り』(勝プロダクション)で、発足間もない1970年のお盆興行において、勝新・裕次郎という双方の社を支えたスターの顔合わせを、早くも実現させていたことになる。

また『ボクは五才』(大映京都)、『ママいつまでも生きてね』(大映東京)など、子供の目線で社会を見つめた佳作も世に生み出した。
ダイニチ映配の崩壊、日活ロマンポルノ路線転向と大映倒産

ダイニチ映配時代の間にも両者の経営はますます悪化していった。

1971年になると、大映では3月に250人の希望退職者を募集。4月にはついに東京京橋交差点角にあった本社ビルを売却することになる。大映は、永田の方針として映画の自社内製にこだわり続けた一方で、全盛期の収益は主に株式配当や永田の政治活動[注釈 8]などに充当されており、映像事業強化や多角化による経営基盤の強化に積極的に資本を投入しなかった点が、他社とは決定的に違っていた。このため、映画事業が不振となり経済的に行き詰まった時、大映にはそれに代わって安定的に収益を生み出す手段もなく、資金面で窮するたびに本社や撮影所などを含む自社関係の敷地や資産を切り売りしてどうにかしのぐという、苦しい選択肢しか残されていなかったのである。

一方、日活では6月に堀久作社長が退陣し、息子の堀雅彦が社長に就任する。この余波で、堀久作の片腕だった壺田が日活常務を解任され、ダイニチ映配に取り残されることになる。前月5月に松山が病気のため社長を退陣し、壺田が社長に就任したばかりの出来事だった。

8月に日活制作の『八月の濡れた砂』『不良少女 魔子』が公開。これをもって同時に日活は映画製作を中断、ダイニチ映配から離脱する。これによって配給網が成り立たなくなったダイニチ映配は、同月に崩壊[1]。結果的に壺田は、大映やダイニチ映配と運命を共にすることになる。

日活は、暗黒時代の映画界でとにかく会社を生き残らせるため、同年11月から成人映画路線「日活ロマンポルノ」をスタートさせた[1]。ほとんどの俳優はフリーとなり、他社やテレビ業界へと活躍の場を移すことになる。それに対しスタッフは、キャリアの浅い若手を中心にロマンポルノへと足を踏み入れていった[注釈 9]。「日活ロマンポルノ」を参照

一方、大映は、10月に大映配給株式会社による単独配給を再開。関根恵子が大映で主演した最終作『成熟』など、その後の作品は大映単独で配給している。この時期に大映テレビが分社化[注釈 10]。11月20日に最後の封切作品である八並映子主演の『悪名尼』(大映東京)と川崎あかね主演の風俗時代劇『蜘蛛の湯女』(大映京都)を公開[注釈 11]。そのわずか9日後の29日に折から体調を崩していた永田雅一に代わり、息子である副社長の永田秀雅から全従業員に解雇通告がなされ業務全面停止、翌12月に不渡手形を出し、大映は破産宣告を受ける。「大映#1970年代」および「大映テレビ」を参照

東宝も翌1972年に自社での映画製作を大幅縮小。専属俳優の解雇を実施し、ほぼ外部からの調達に切り替えた。「東宝#映画製作部門の大幅縮小」を参照

このようにして大映こそ、破産という形で五社協定もろとも崩壊したものの、自社専属俳優体制の脱却、経営の多角化などの変化を通じて、自社の興行網を維持した上で斜陽の時代を乗り切っていったのである。
作品リスト

主に ⇒「ラピュタ阿佐ヶ谷・ダイニチ映配ノスタルジア上映リスト」(2007年)より
1970年
日活

ハレンチ学園 身体検査の巻・タックルキスの巻

盛り場流し唄 新宿の女 - 藤圭子のデビュー曲「新宿の女」をモチーフにした歌謡映画。藤本人も出演。 

反逆のメロディー

土忍記 風の天狗

戦争と人間 第一・二部 - ダイニチ系ではなく、洋画系を通じて公開された。なお、1973年公開の3作目は日活単独での配給だが、やはり洋画系のルートで公開。

スパルタ教育くたばれ親父

いちどは行きたい女風呂 - 浜田光夫の恋人役として、入社したばかりの夏純子が抜擢。

女子学園 ヤバイ卒業


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef