ダイニチ映配
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注釈^ 全盛期を支えた専属監督・鈴木清順が、『殺しの烙印』(1967年)に不満を持った堀から解雇された「事件」もあった。
^ 例として、静岡市にあった「静岡日活」が挙げられる。名称はそのままでOPチェーン(大蔵映画)傘下に入りピンク映画封切館に転身、「並木座」と名を改めた後ダイニチ映配の崩壊とロマンポルノ発足をきっかけに日活系へ復帰した。
^ また、東京・新宿地区においては、ダイニチ映配発足からしばらく後に、上映館が「新宿大映」一館となり、日活系上映館だった「新宿日活」(新宿日活劇場・旧「帝都座」)は「新宿日活オスカー」と名を改め、洋画上映館に転身した。なお「新宿日活オスカー」は、『関東破門状』(1971年)のクライマックスシーンの舞台としても使われた。
^ ただし翌1971年には、この興行形態の見直しが行われ、一方の社による新作2本立で一興行を固定、以降は「大映週間」→「日活週間」→「大映週間」…といったローテーションで公開する形に改めた。
^ 後期から末期にかけては、主に「映画はヤングのダイニチ系!」というコピーが使われた。
^ 1970年8月1日付で日活と専属契約。
^ もっとも裏を返せば、この共演は、永田が1954年にそもそも提案した、映画会社同士の専属監督・俳優の引き抜きや貸出の特例を禁止した五社協定が、映画界の斜陽とテレビの隆盛、それによる新劇出身者、永田が追い出した田宮二郎自身のテレビでの活躍を前にして、すでに事実上崩壊していた証明でもあった。
^ 彼は河野一郎岸信介との交流を介して政界のフィクサーを目指していた。
^ 退社したところで行き場も無く、本意も不本意も無くロマンポルノに活路を求めて足を踏み入れていくしか選択肢が無い状況であった。しかし、そのようにして維持されたスタジオシステムの中で、制作スタッフの中から育成・経験を積み、1990年代以降の日本映画界を支えた人物もいることもまた事実である。(例:相米慎二周防正行崔洋一など)
^赤いシリーズ」や『スチュワーデス物語』など独特の作風の物語を作っていく。また、ダイニチ映配時代に大映京都作品を数作担当した菊池俊輔が、大映テレビにおいても『なんたって18歳!』を皮切りに、主に1980年代を中心にメインの劇伴を担当している。
^ 奇しくも日活ロマンポルノ第1作(『団地妻 昼下りの情事』=白川和子主演・『色暦大奥秘話』=小川節子主演)と同一公開日であった。
^ 現在の著作権は東宝が所持。
^ ロマンポルノ転向前の最終公開作は、9月に公開した和泉雅子主演の『朝霧』(日活単独配給)。
^ 現在の著作権は東宝が所持。
^ 公開当初は「ダイニチ映配」「大映株式会社」のオープニング表記が付いていたが、その後の劇場公開版では両社の表記が消え、本作の現在の著作権所持者である東宝のオープニング表記に変わった。

出典^ a b c 電撃ホビーマガジン編集部 編「プロジェクト東宝チャンピオンまつり 祭り囃子は遠くに」『ゴジラ 東宝チャンピオンまつり パーフェクション』KADOKAWAアスキー・メディアワークス)〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2014年11月29日、125頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-04-866999-3。 

関連項目

国際映画社 - 壺田が1974年に設立した洋画映画配給会社。1979年よりアニメ制作に進出する。J9シリーズが有名。息子の壺田重夫・青木藤吉・宇田川誠也などの当初の社員は日活関係者。

鏑木創 - ダイニチ映配配給の日活、大映両方の作品で多くの劇伴を担当。

毎日ニュース - 日活系で上映されていたニュース映画。配給統合直前までは、日活が「毎日ニュース」・大映が「大毎(だいまい)ニュース」と、制作会社こそ異なるが共に毎日新聞社系列のニュース映画を上映していた。配給統合に伴い日活系の「毎日ニュース」が存続、大映系の「大毎ニュース」は事実上廃刊となった。三島由紀夫が死去した後、1970年12月第一週におけるダイニチ系の新聞広告には小さく“三島由紀夫自決ニュース上映中”との記述が確認できる。ダイニチ映配の消滅後は、大映配給株式会社を経て、ロマンポルノ路線を打ち出した日活が引き継いだ。

『日本万国博』 - 日本万国博覧会の公式記録映画。1971年公開。谷口千吉監督。「日本万国博覧会映画配給株式会社」を設立したうえで、松竹系とダイニチ系との共同配給で公開。

外部リンク

ラピュタ阿佐ヶ谷・ダイニチ映配ノスタルジア(2007年上映)2015年5月4日閲覧

文化庁:日本映画情報システム、「ダイニチ映配」での検索結果

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