ニュージャージー州ベイヨンのジェリー・オマホニーが最初の「ダイナー」を作ったという説がある[2]。同州エリザベスのジェリー・オマホニー・ダイナー社は、1917年から1941年に二千店のダイナーを製造し、そのうち現在も営業を続けている店舗が国内外に20軒残っている[3]。席数の増加に伴い、ワゴンを製造していた業者の多くがプレハブ建築式ダイナーを製造するようになった。ランチワゴン同様に、プレハブ店舗に組み立て済み建築材と設備を使用することにより、ダイナーの経営者は飲食店業をすぐに開始できた。ペンシルベニア州ウェルズボロの、1938年に製造されたダイナーの内装。天井が曲面である。
世界恐慌まで、ほとんどのダイナー業者と顧客は合衆国北東部にあった。ダイナー業も他の産業同様恐慌の影響を受けたが、どんなときでも人は食事をするものであり、高級なレストランよりも安価な料理を提供するダイナーは営業を始めるのにかかる費用も安いため、被害は他業種ほど深刻ではなかった。第二次世界大戦後、経済が民需に戻り郊外が発展するとともに、ダイナーは魅力的な小規模ビジネスの起業対象となった。この期間に、ダイナーは都市部や小さな町といった本来の商業圏から郊外の高速道路沿いの土地へと広がり、ヴァレンタイン・ダイナーズのような製造業者と共に、中西部にさえ達した。
1970年代に、多くの地域でファストフード店がダイナーを駆逐したが、ニュージャージー州、ニューヨーク州、ニューイングランド、デラウェア州およびペンシルベニア州の一部では、個人営業のダイナーが今なお割合普通に見られる。この時期に新たに建ったダイナーは、これまで主流だったステンレス製の細長い流線型の形状(後述)を捨て、大きな建物となったが、古くからのダイナー製造業者によるプレハブ式のユニットを組み立てて建てられている。これらの新しいダイナーには、個人住宅に多く用いられるケープコッド様式やコロニアル様式をはじめ、多種多様な建築様式が採用されている。旧式の単一ユニットのダイナーは長いカウンターと小さなボックス席を持っていたが、現在ではより広い食事席、豪華な壁紙、ファウンテン、クリスタルガラスのシャンデリア、ギリシャ式彫刻が追加されるようになった。古いプレハブ式のダイナーが普通の工法で増築され、元の構造がわからなくなるほど新しい増築部に覆われたり新しい外装を施されるにつれ、「ダイナー」という言葉の定義が曖昧になった。ダイナーと呼ばれているもののプレハブ式でなく、敷地に普通の建築同様土台から建てられる店舗も現れ始め、これらのより大型の店舗はしばしばダイナーレストランとして知られるようになった。
設計ニュージャージー州サミットのサミットダイナー(オマホニー社、1938年製造)は典型的な「食堂車」様式のダイナーである。
トレーラーハウスと同様、初期の様式のダイナーは狭くて細長く、道路での移動が可能であった。これは定位置での営業を想定していなかった最初の「本物の」ダイナーから受け継がれた特徴である。「ダイナーワゴン」でない元祖ダイナーは、実際の鉄道の食堂車であった。食堂車が耐用年数を超過した後に、駅の近くまたは線路沿いの定位置に置かれ、安価なレストランとして使われた。
その後、鉄道車両を製造するために設計された設備を流用して製造されたこともあり、伝統的にこの大きさと形状が保たれた。初期の間取りでは、サービスカウンターが内装の中心で、背面の壁に調理エリアがあり、前面には床に取り付けられた客用の椅子がある。より大きなモデルでは前面の壁と後方にボックス席がある。装飾は時につれ変化した。1920年代から1940年代のダイナーはアール・デコの要素を取りいれたり、食堂車の装飾を模した(実際に再度組み上げられた食堂車も僅かながらあった)装飾を施された。外装は琺瑯で、前面に店名が書かれたものやエナメルの帯飾り、縦溝飾りを入れたものが特徴である。