タワーレコード
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日本とアメリカ国内での事業展開を広げ、企業にとっての最盛期であった1980年代から1990年代にかけては、マイケル・ジャクソンマドンナプリンスシンディ・ローパーなどの、ゴールドディスクを連発するアメリカのアーティストの世界的人気や、MTVなどによるポップカルチャーの隆盛、さらにCDの登場による売り上げの向上なども後押ししたことにより、企業としての最盛期を迎えることとなった。
世界進出ダブリン

日本各地とアメリカ各地への進出に成功をおさめ、最盛期の1990年代には、日本の他にカナダイギリス香港台湾シンガポール韓国タイマレーシアフィリピンアイルランドイスラエルアラブ首長国連邦メキシココロンビアエクアドルアルゼンチンに展開し、全世界で192店舗を展開した。

これらはアメリカ法人MTS Corporation(アメリカ・カリフォルニア州サクラメント)によって運営されていた。本社名である「MTS」の由来はのちにラスの後を受けて社長になる弁護士の息子の名前Michael T Solomon(マイケル・T・ソロモン)から採った。

結果として、1960年代初期から続いた企業としての最盛期は、この1990年中盤に絶頂期を迎え、HMVヴァージン・メガストアなど、模倣をする企業も世界中に相次いだ。
急激な業績悪化

しかし2000年代に入り、総合スーパー家電量販店の安売り攻勢、Amazon.comに代表されるインターネットを介した通信販売の登場、ナップスターのような音楽の無料共有を主目的としたファイル共有サービスの急速な普及などを受けアメリカ国内の既存店舗の収益が急激に減少した。

また、長年財務を務めてきたバド・マーティンの病気による離脱や、ラス・ソロモンの体調不良による社長交代が行われた上に、借入金や在庫の増加や、南アメリカ東南アジア諸国への急激な店舗拡大の失敗もあり、財務状況が急速に悪化した。
日本法人売却と倒産

これに対して、2002年には日本法人を売却して(日興プリンシパル・インベストメンツに全株式を売却)一時的に大きな収益を得たが、利益の大きな日本の店舗網の喪失でMTS社の業績はさらに悪化し、銀行から送られてきた役員の経営参加で経営方針が混乱し、事業不振が深刻化した。さらに2000年代半ばにはAppleiTunes Music Store という異業種からの音楽配信参入が、MTSの業績に追い打ちを与えた。

2006年8月20日に、MTS社が連邦倒産法第11章を申請(2004年2月以来2度目の破産)。アメリカのタワーレコードを売却する計画があがり、同年10月6日連邦倒産裁判所はグレート・アメリカン・グループへの売却を承認した。
廃業閉店を告げる看板(レストン、アメリカ、2006年12月10日)

同グループはタワーレコードの資産を全て清算する方針とし、アメリカにおけるタワーレコードの店舗における営業の廃業が決まった。2006年12月下旬まで行われた全米各店の閉店セールでは、什器看板までにも値段がついて、あらゆるものが売りに出された。

日本では、アメリカでのタワーレコードの不振は、「音楽配信によって専門店での店頭販売という「音楽」の販売形態が過去のものとなったためである」というニュアンスで報道されたが、音楽配信で音楽を「買う」人は2000年代前半ではアメリカでもまだ少数派であった。

倒産の最大の原因は、アメリカには定価販売をする再販制度がなく、ウォルマートベスト・バイなど全米規模で展開し、大量仕入れ、大量販売を行う大手総合ディスカウントショップが、CDDVDを薄利多売してレコード専門店の来店客を奪う傾向がここ20年以上続いたためであり、さらに1990年代後半以降はAmazon.com等の通信販売の侵食も受けるなど、業界の勢力図が急激かつ大きく変化していたにも拘らず、ラス・ソロモンを中心とした家族経営的な体質からこれに対応できなかったことである(しかし、その家族経営的な体質がタワーレコードを成功に導いたのもまた事実である)。
現在現在の渋谷店(2016年)

店舗廃業後のタワーレコードはオンライン店舗 ⇒[1]でCDやDVD、書籍を販売しているほか、日本以外の各国でのフランチャイズも続けている。

アメリカ国外ではアイルランド、メキシコ、コロンビア、イスラエル、マレーシア、日本にタワーレコードブランドのチェーンが残っているが、フィリピンのようにかつてフランチャイジーだった店舗網が別ブランドを名乗っている国もある。なお、日本において「タワーレコード」を展開しているのはアメリカ法人から独立した法人であり、アメリカ法人の身売りによる直接の影響は受けていないとのこと。

創業者のラス・ソロモンは2007年5月、サクラメント市内のタワーレコード第1号店のあった場所に、「 ⇒R5 Records」という名のレコード店を出店した。2010年5月、ラス・ソロモンはR5 Recordsの営業権をDimple Recordsに売却し、第一線から退いた[1]後、2018年3月に死去した。

なお、2015年にはコリン・ハンクス監督による、ラス本人を含む元従業員や顧客を含む膨大な人数のタワーレコード関係者にインタビューしたドキュメンタリー映画「オール・シングズ・マスト・パス(All things must pass)」が公開された。
日本FC

タワーレコード株式会社


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