タツノコプロ
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代表者代表取締役社長 伊藤響[1]
資本金2070万円(2022年3月31日現在)[2]
発行済株式総数41,400株
純利益1923万7000円(2022年3月期)[2]
総資産29億5050万6000円
(2022年3月31日現在)[2]
従業員数76名(2023年6月1日現在)[1]
決算期3月31日
主要株主

日本テレビホールディングス 55.2%

タカラトミー 20%

ホリプロ 13.5%

プロダクション・アイジー 11.2%

主要部門BAKKEN RECORD
関係する人物#関連人物参照
外部リンク ⇒www.tatsunoko.co.jp
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株式会社タツノコプロ(: Tatsunoko Production Co., Ltd.)は、日本アニメ制作会社日本テレビホールディングス株式会社の連結子会社、株式会社タカラトミー持分法適用会社日本動画協会正会員。
概要

漫画等の原作をもとにしないオリジナルアニメを得意とし、作品にかかわる権利の9割以上を自社単独で保有している。1962年10月、「株式会社竜の子プロダクション」(たつのこプロダクション)として設立。2013年3月、これまで通称として使用してきた「タツノコプロ」に商号変更された。コーポレート・キャラクターは、タツノオトシゴである。
沿革
1960年代
1962年昭和37年)


10月19日 - 漫画家吉田竜夫が、自身のマネージャーを務めていた弟の吉田健二らと共に「株式会社竜の子プロダクション」(以下、「タツノコプロ」)を東京都武蔵野市に設立。竜夫の末弟で漫画家の九里一平(本名:吉田豊治)も、竜夫と健二に勧められるまま参加。3兄弟が代表権を持つ取締役に就任し、竜夫が社長、健二が専務、九里が常務となった。当初は吉田竜夫の漫画の版権やアシスタントの管理をするための漫画専門のプロダクションだった。創設時には、辻なおき望月三起也中城健が参加した。

1964年(昭和39年)


タツノコプロへ東映動画からテレビアニメ制作の企画が持ち込まれ『宇宙エース』の企画が立てられるが、著作権の配分を巡って紛糾し制作開始直前に企画が中止となる。タツノコプロが原作と演出、東映動画が作画以降の作業を分担する計画であった。企画中止の後、東映動画は独自に『宇宙パトロールホッパ』を制作した[3][4]。このとき、タツノコ側からはアシスタントの原征太郎と吉田兄弟の友人の漫画家笹川ひろしが東映動画で3か月のアニメーター養成研修を受けた。

1965年(昭和40年)


5月 - タツノコプロ単独制作により『宇宙エース』がテレビアニメ第1作としてフジテレビ系列で放送開始。モノクロ作品。吉田兄弟、笹川ひろし、原征太郎を中心に新たに奥田誠治、坪田力蔵、西岡たかし、木下敏治、東映動画から美術の中村光毅虫プロダクションから脚本家の鳥海尽三らが加わる。その他、新聞の募集広告で約60名のスタッフが集まる。『宇宙エース』放送以後、1980年中盤までタツノコ制作の多くの作品がフジテレビ系列で放映される。

1966年(昭和41年)


2月 - 鳥海永行が入社、当時は文芸部がなかったため演出部に所属。

1967年(昭和42年)


4月 - カラー作品第1号『マッハGoGoGo』が放送開始。以後、吉田竜夫が原作を務めた作品と『いなかっぺ大将』(川崎のぼる原作)などの他の原作者による作品を並行しながら、アニメ制作を続ける。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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