タスマニア州
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タスマニア島南部のコール川(英語版)河口のオリエルトン・ラグーン[7]、Scirpus monivagusやAmphibromus neesiiの生える中部内陸のクレセント湖(英語版)を含むインターレイケン湖畔保護区(英語版)[8]、北海岸のリトルウォーターハウス湖(英語版)[9]とリンガルーマ川(英語版)下流部の氾濫原[10]、そして東海岸のBaumea articulata(英語版)、ジョウイ(英語版)やVillarsia exaltataの生えるジョックス・ラグーン(英語版)[14]とモルティング・ラグーン重要野鳥生息地(英語版)[11][12]ラムサール条約登録地である。
時間帯

タスマニア州の標準時オーストラリア東部標準時:(A)EST)はUTC+10時間(日本標準時+1時間)である。夏時間((A)EDT = UTC+11時間)の開始は10月の第1日曜日早朝、終了は翌年4月の第1日曜日早朝である。
歴史

元々は先住民族であるアボリジニが3万年以上前の氷河期から住んでいたことが分かっており、当時の石器や壁画が発見されている。当時はまだオーストラリア大陸とつながっていた。

その後、約1万1700年前、氷河が解け、海面が上がり、タスマニア島がオーストラリア大陸から分離し、そこに住んでいたアボリジニの文化も独自の発展を遂げたと考えられている。

1642年にオランダ人探検家のアベル・タスマンが到達し[15]、当時のオランダ東インド会社総督ヴァン・ディーメンにちなんで「ヴァン・ディーメンス・ラント」と命名された。後にイギリスからの移住民により、タスマニア島と改名された。しかしこの頃、彼らは正確な地理を把握しておらず、彼らはこの島をオーストラリア大陸の一部だと信じていた。

1803年オーストラリア本土シドニーから最初の植民が行われた。初期の植民者は流刑囚とその看守であり、南東部のポート・アーサーと西海岸のマッカリー・ハーバーが流刑植民地となった。1826年12月3日にニューサウスウェールズ植民地から分離した。オーストラリアの植民地政府としては2番目の古さである。

同島で起きた流刑囚の反乱と日本の関わりとして、1829年囚人らが奪取したイギリス船キプロス号が日本の徳島藩沿岸に出没した事件(牟岐浦異国船漂着事件)がある[16]

先住民族であるタスマニア・アボリジニ(英語版)とは1830年代までブラック・ウォーと呼ばれる戦争を起こしたが、タスマニア・アボリジニたちはフリンダーズ島へ強制移住させられるなど激減し、タスマニア・アボリジニは、ハンティングの獲物にされるといった悲劇を経て激減している。白人と混血しつつも、末裔は今もなお存在し、文化を伝承し、権利獲得運動に取り組んでいる。

1901年オーストラリア連邦の成立に伴い州となった。
近年の出来事

1996年4月29日 - 当時29歳の白人男性が無差別発砲で観光客や住民35名を射殺し、37名に負傷させた。ポートアーサー事件と呼ばれる。

2004年5月14日 - タスマニア出身のメアリー・ドナルドソンコペンハーゲンデンマーク王太子フレデリクと結婚式を挙行した。

経済

伝統的な主要産業は鉱業亜鉛)、林業農業、観光である。鉱業については、19世紀末から続くマウント・ライエル鉱山鉄道会社(英語版) が1995年の再興を経て採掘している。

前述のように水力発電が盛んなほか、風力発電所も新設が進んで再生可能エネルギーだけで島内電力を賄っており、余剰電力はオーストラリア本土への送電やグリーン水素製造に回すことが計画されている[6]

1990年代に製造業が衰退し、シドニーやメルボルンに移住する熟練労働者が増えた。政府部門が最大の雇用者である。州民所得はオーストラリア全州で最も低く、州政府の予算はブリスベン市程度の規模しかない。また近年大規模な森林の伐採が行われ、環境破壊が問題となった。2001年以降、経済が飛躍的に回復し、とくに本土や海外からの移住増加もあって住宅価格が上昇した。

外資の進出により、アヘン剤をベースにした鎮痛剤の世界供給量のほぼ半分を担っている[17]
主要都市

ホーバート(人口:230,000人)

ロンセストン(人口:90,000人)

クラレンス(人口:54,000人)

グレノーキー(人口:46,000人)

デボンポート(人口:30,000人)

バーニー(人口:20,000人)

アルバーストン(人口:14,000人)


ホバート

ローンセストン

クラレンス

グレノーキー

デボンポート

交通タスマニア島に設置されているホバート国際空港の様子。タスマニアの名が付けられたフェリー。
空路

ホバート国際空港は、国際空港と付いているものの、1998年から国際線の定期便運行を停止している。国内線はメルボルン、シドニー、ブリスベーンアデレードを結ぶカンタス航空とその子会社の定期便が運航している。また、格安便が就航したことによって航空便を利用する旅客増加した。
島内の交通

島内には高速道路含め道路が整備されている。鉄道は4都市と鉱業・林業のために使われているが、1977年、一部観光地域を除き、旅客営業を廃止した。
海路

州政府がデボンポートとメルボルン間のバス海峡を横断する週6便のカーフェリーを運航している。
教育
大学

タスマニア大学(UTAS):ホバートローンセストン

観光
世界遺産

タスマニア原生地域 - (1982年複合遺産

タスマニア州を扱った作品

映画『
タスマニア物語』(1990年、日本)

小説『グールド魚類画帖 Gould's Book of Fish』リチャード・フラナガン2001年、タスマニア)

小説『英国紳士、エデンへ行く English Passengers』Matthew Kneale (2000年、英国)

NHK BSプレミアム プレミアムアーカイブス(2014年4月21日)『オセアニアトレッキング紀行 太古の自然・原始への旅?オーストラリア・タスマニア島?』 - 初回は2000年放映。伊達公子がオッサ山などに登山する。


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