タジキスタン
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ロシアとは集団安全保障条約(CSTO)を通じて軍事同盟関係にあり、国内にロシア連邦軍が駐留している[6](「国外駐留ロシア連邦軍部隊の一覧#タジキスタン」参照)。タジキスタン内戦1992年

1992年タジキスタン共産党系の政府とイスラム系野党反政府勢力との間でタジキスタン内戦が起こった。11月に最高会議(共産党系)はエモマリ・ラフモノフ(1952年 - )を議長に選び新政権を樹立し、1993年春までにほぼ全土を制圧した。1994年4月、最初の和平交渉が行われた。11月の大統領選挙が行われ、1997年6月の暫定停戦合意で反対派は政府ポストの3割を占めた。5万人以上の死者を出した内戦が終わった。エモマリ・ラフモノフ(現在はラフモンと改名)大統領の就任以来、国際連合タジキスタン監視団(UNMOT)の下で和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた日本の秋野豊筑波大学助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で武装強盗団に銃撃され殉職する事件が起こった。

1997年に内戦は終結した。UNMOTは2000年に和平プロセスを完了させ、以後は国際連合タジキスタン和平構築事務所(UNTOP)が復興を支援した。2001年対テロ戦争以来、フランス空軍も小規模ながら駐留している(2008年時点)。

ラフモン大統領の長期政権によって、上海協力機構に加盟してロシアや中国と関係を強化し、アメリカ合衆国とも友好を築き、日本を含む各国の手厚い支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10パーセントの高成長率を維持しているようである。和平後のマクロ経済成長は順調で負債も順調に返済していたが、2006年に中国が道路建設支援を目玉に大規模な借款を行ったために、タジキスタンのマクロ経済指標の状況はアフリカ諸国並みであり、将来にわたる世界不況に対する不安が残っている。特に、もともと資源・産業の多様性は乏しいうえ、所得の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収350ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つであるが、近年のロシア経済の好転により、出稼ぎ労働者からの送金額が上昇したことから、公式経済データと実体経済との乖離、および出稼ぎ労働者のいない寡婦世帯における貧困の深化が問題となっている。特に、ロシア語の話せない村落部出身の男性は、ロシアでの出稼ぎ先では低賃金肉体労働しか選択肢がなく、過酷な労働による死亡、AIDS若しくは性感染症の持ち込み、あるいはロシア国内での重婚による本国家族への送金の停止など、都市部・村落部を問わず社会的問題は単純な貧困を超えた現象となりつつある。

2011年1月12日、タジキスタン下院は、中国との国境画定条約を批准し、パミール高原の約1,000平方キロメートルが中国に割譲されることになった。アフガニスタンへの支援に適している地政学的重要性からインドが海外初の軍事基地を設置しているほか[7][8]中国人民解放軍の駐留基地も存在していることを、米国の『ワシントン・ポスト』は衛星写真や現地取材などをもとに報じている[9]
21世紀

ラフモン政権下の同国は自国民の愛国心を高めるためとして、2007年、大統領自らペルシア風の名前に改名すると、ほぼ全ての公務員が倣ってペルシア風の名前に改名した[10]。また、ソ連時代から用いられ続けていた(公用語としての)ロシア語を2009年に廃止。2016年には出生届に関する新法を施行し、産まれてくる子供に外国名を名付けること(特にロシア語での命名)を禁止している[11]。最近では、テレビ番組に外国風の衣装を身に着けたキャラクターを登場させることを禁止するほか、仕事で海外から渡ってきた人間の母語を含む多言語の使用にも制限が設けられる事態が起こっている[12]

このほかには、ソ連の名残を払拭する目的から祝祭を規制する法律を厳格化したことが挙げられる。新年を祝うことを禁じ、ヒンドゥー教ホーリー祭を祝う行事に参加した若者を「ハラームに該当する行為」だとして強制的に解散させるといった取り締まりが執行されたほか、学校の卒業パーティーを禁止する方針が固められたり、個人の誕生日を「自宅だけで祝う」ようにさせるなどの措置がとられたりしている[13]

2018年7月29日、首都ドゥシャンベからアフガニスタン国境に向かう道路を南に約150キロメートル下った付近の地域で、観光目的で現地を訪れていた外国人グループが襲撃され4名が死亡する事件が発生した[14]

キルギスとの国境線は半分近くが確定しておらず、水資源の奪い合いなどの住民同士のトラブルが国境紛争に発展する危険性をはらんでいる。2021年、2022年には死傷者が生じる軍事衝突が発生した[15][16]。2022年の衝突は両国首脳が参加して行われた上海協力機構首脳会議の期間中に発生しており、互いに部隊を撤収させることで合意を見たが現地では戦闘は続いた[17]

2022年10月14日にカザフスタン首都アスタナで開かれた、ロシアと中央アジア5カ国の首脳会議では、ラフモン大統領がロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンに、中央アジア諸国を、ソ連時代のように軽視し、属国のように扱うべきではないと要求する一幕があった[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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