タシュケント
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戦後、第386収容地区(ラーゲリ)が設置され、日本人のシベリア抑留の対象地のひとつとなった[8]。日本人捕虜は、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たるナヴォイ劇場の工事などに従事した。犠牲となった者の日本人墓地も残る。
戦後から現代

1966年4月26日、大地震に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊した。地震後、計画的な都市作りが行われたため、非常にソ連的な町並みとなった。ソ連時代、ウラル山脈の東で最大の都市であった。アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)ではソ連の軍事的拠点となった。ウズベキスタン独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつある。
経済青い建物は「チョルスー・バザール」と呼ばれる屋内中央市場屋内中央市場 内部
商業

古来より、タシュケントはシルクロードの中継都市として多くのものが集まる物流の中心地として発展していた。現在でも大規模なチョルスー・バザールが所在するなど国内最大の商都である。
都市開発

中央アジアで2つしかない
地下鉄のある都市である(もう一つはカザフスタンアルマトイ)。

独立広場には、かつてソビエト連邦でもっとも高いウラジーミル・レーニンの像(約30m)が建設されていた。レーニン像は1992年に撤去され、代わりにウズベキスタンの位置を示した地球儀の像が設置された。

ウズベキスタン政府、労働組合、民間の医療施設や歯科施設がある。

アーンスト・アンド・ヤングデロイト トウシュ トーマツプライスウォーターハウスクーパース、Gravamen Fidelis、Fides LLPなどのアメリカ合衆国やヨーロッパのコンサルティング会社の事務所がある[9]

情報通信
マスメディア
放送局

複数のテレビ局と
ケーブルテレビ局が中央アジア最大の建築物であるタシュケントタワーから電波に乗せて放送を行なっている。

また、中央アジアでは最も早く2008年デジタル放送が導入され、2015年を目処に完全移行する予定である[10]。(その後、トルクメニスタンでは2011年[11]カザフスタンでは2012年にデジタル放送が導入された[12]キルギスタジキスタンでは2015年までにデジタル放送が導入される予定である[13][14]。)
新聞社

ウズベク語による新聞9紙が発行されており、その他に英字新聞4紙、ロシア語新聞9紙が発行されている。

教育ウェストミンスター国際大学タシュケント校のキャンパス

タシュケントには、ウズベキスタン科学アカデミーのような国内でも重要とされる科学研究所が設置されている。タシュケントには大学や研究所をはじめとする複数の高等教育機関がある。
大学
主な大学


タシュケント州立技術大学


タシュケント情報技術大学[15]

ウェストミンスター国際大学タシュケント校[16]

ウズベキスタン国立大学[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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