トルキスタン総督府が置かれていた時代は4つの地区 (daha) から成り立っていた。ベシュヤグハチュ、ククチャ、シャイハンターフル、セブザール。
1940年に地区 (ロシア語: район) の見直しが行われ6地区に再編された。オクティアブル、キーロフ、スターリン、フルンゼ、レーニン、クイビシェフ。
1981年までに現在のような11地区に改編された[3]。 1983年時点において、タシュケント256km2圏内に住む人口は約1,902,000人であった。1991年には約2,136.600人へと増加した。タシュケントはソビエト連邦時代にはモスクワ、レニングラード(サンクトペテルブルク)、キエフに続く第4の都市であった。現在でもタシュケントはCIS諸国とバルト三国の中で第4の都市の地位を維持している。2012年1月1日時点のタシュケントの人口は約2,309,300人であった[4][5]。 (これには一時的な居住者が含まれていると推定されている[1]。) 現在のタシュケントの民族構成はウズベク人が多数を占め、2013年の調査では65.0%となっている。一方、ロシア人は1970年当時は40.8%を占めていたが2013年には18.0%まで急減している。これは、ウズベク人の流入や高出生率による人口増加と独立以降のロシア系住民の流出や低出生率によるものである。 また、民族調査ではウズベク人としてカウントされているタジク人も相当数いると見込まれる他、ウクライナ人、タタール人、クリミア・タタール人やウイグル人、アルメニア人、高麗人、カザフ人などで構成される多民族都市となっている。タシュケントではウズベク語を理解しない人も少なくなく、ウズベキスタンでは独立時にロシア語は公用語から排除され、ウズベク語への一本化が図られたもの、ロシア系住民の多いタシュケントではロシア語は広く共通語として用いられている。タシュケントのロシア人人口は最盛期には70万人に達していたが、2013年には42万人に減少した。それでもロシア、ウクライナ国外の都市の中で、カザフスタンのアルマトイに次ぐ人口規模となっている。 民族1970年(人)(%)1989年(人)[6](%)2008年(人)(%)[7]2013年(人)(%) タシュケントはソグド語での古名をチャーチュ (c'c : ???)、またはチャーチュカンドともいい、ペルシア語でもチャーチュ( ??? Ch?ch)と称し、アラビア語ではシャーシュ( ??? Sh?sh)と呼ばれた。『シャー・ナーメ』でもそのように記されている。チルチク川の形作るタシュケント・オアシスの主邑として、またカザフ草原・天山山脈北麓の遊牧地帯とマー・ワラー・アンナフルのオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として古代から繁栄した。
人口
人口統計
ウズベク人--907,84244.2%-63.0 %1,528,00065.0%
ロシア人564,88040.8%[6]699,26234.0%-20.0 %423 00018.0%
タタール人--128,7906.8%-4.5 %105,0004.5%
その他---15.0%-12.5-12.5%
歴史
古代